旧作ヤマト考察協会

第一作から完結編まで、旧作宇宙戦艦ヤマトを出来る範囲で現実的に考察するブログです。

波動砲神話――描写との乖離・その実際

 


 いわゆる、第一作でヤマトは人間に対して波動砲を使用しなかった、という話だ。
 検証してエビデンスをまとめて、さっさと片付けてしまいたい。

 

 

 結論、単なる神話。しかも、新幹線等の安全神話とは異なり、全く持って実体を伴わない。ムーの記事の方がよっぽど事実を踏まえていると言い切ってもいいレベル。

 

 

 

 波動砲、その使用例
 まずは波動砲の使用シーンとその内容をざっくり振り返りたいと思う。
 第一作での波動砲使用は次の通り。

 

 対大型ミサイル(劇場版)
 木星の浮遊大陸
 対アルファ星コロナ(正確にはプロミネンス。劇場版でも使用)
 対バラノドン特攻隊(テレビシリーズのみ)
 ガミラス本星(海底火山脈に対して発射。劇場版でも使用)


 結構撃ってる……。まあ、確かに対人使用はない――ってバラノドンはどうなんだよ。何だよ、バラノドンには撃ってもおとがめなしかよ。ガミラスに利用されただけの原生生物なんだぜ? 全く悪意はないのに、兵器に利用されただけ。それに波動砲ぶっ放す。そりゃ身を守る為には仕方がない事だが、だからってこれが棚上げされるのは話が違う。対人使用と同等、人間のエゴの発露という意味ではより悪質ともとれる。
 人に向けて撃ったかどうかなんて結局結果論であって、目の前にあるのは鋼鉄の軍艦な訳で、敵に対する意識って物は陸軍と海軍とでは乖離があったのは良く知られた事だし、パイロットに至っては基本的に敵味方に分かれてもパイロットである以上は兄弟親戚みたいなつながりを精神的に持つって話じゃないか。

 陸軍はなまじ相手の顔が見えるから憎しみがわく。パイロットはお互いに特殊技巧の持ち主であり、各国ある程度共通した評価基準があるから、パイロットというくくりにおいてはみな兄弟。海軍は目の前の人間を感じにくいから、目の前の人間に対して案外悪感情を抱かない。
 人に向けて撃っているとか撃っていないとか最終的には関係ないのだ。特に、海軍の軍艦乗りはその傾向が強くても当然。それを非難するのは後方の安全地帯にいる人間だからできることでしょう。

 

 失敬、取り乱しました。

 まだ波動砲の威力が不確かだった木星と、バラノドンに対する2発を除いて生物に対しては発射していない。が、実は使用検討まで行くと……ちょっと様相が異なる。
 使用検討は次の通り


 冥王星前線基地冥王星への影響を恐れ却下)
 七色星団決戦・対ドメル艦隊(ドリルミサイルにより砲口破損中。劇場版でも言及)


 冥王星前線基地への使用を控えたのは他ならなぬ木星浮遊大陸での思った以上に波動砲の能力が高かった事にあるだろう。波動砲の使用例の少ない場面では、当然木星に比べれば芥子粒の様に小さい冥王星などバラバラにしかねない。

 冥王星は太陽系=地球の財産なのだから当然、破壊しないに越したことはないのだ。沖田艦長がそう説明しておられた。これって、人間に使いたくないから撃たない、ではないですよね。


 他方、七色星団……対人前提ですねぇ。七色星団のいづれかの星にぶち当てたところで、その惑星が消し飛ぶというわけでは無い(2199だとエピドラが消し飛んだが)のだから虚空に撃つのと大差なく、ドメル艦隊相手の発射検討でなければ合理的説明がつかない。
 もっと言えば、火山脈を撃てば地殻変動が起きるのは分かり切っていた事で、それを狙ったわけだからこれも広義の対人使用と言えるだろう。

 

 まとめると、波動砲の使用とついでにデスラー砲の使用は次の通りになる。
 ガミラス戦役・ヤマト:4発ないし3発発射、使用検討1ないし2発。
 ガミラス戦役・デスラー艦:2発発射。うち一発空撃ち、もう一発は跳ね返る。全部テレビシリーズ。
 

 

 

 第一作以降の作品は、波動砲の安売りと言われることがある。乱用が、ヤマトの作品としての価値を低くし、その気高い意志を霞ませていると。

 本当に、第一作以降波動砲を乱用しているだろうか? 検証してみよう。


 まずはさらば及びヤマト2。地球艦隊とヤマトとデスラー艦の一個艦隊と2隻の戦艦が波動砲をぶっ放しているため、一応分けて考える。また、テレビシリーズと劇場版で使用場面が異なるが、これは分けるのが面倒だったので“ないし”というk賭場で片付けた。


 対ゴーランド艦隊
 ちくわ脱出作戦(ヤマト2のみ)
 対第11番惑星兵站補給基地(ヤマト2のみ)
 対バルゼー艦隊(ヤマト2、使用検討のみ、地球艦隊)
 対バルゼー艦隊(さらばのみ、地球艦隊) 
 デスラー艦隊(検討のみ、ヤマト)
 対白色彗星(さらば、ヤマト2、地球艦隊・ヤマト)
 対都市帝国若桜木版小説のみ)

 

 ほぼ全て対人使用であることに間違いはない。が、計算してみると使用はアンドロメダ2回(ヤマト2では結局、白色彗星迎撃の為の一回のみ)のみ。ヤマトは登場シーンが多いにもかかわらず、さらばで2回のヤマト2では3回の使用にとどまる。また、内一回は脱出の為の発射であってどこにも焦点を合わせて撃っていない。小説版も含めると更に一回をプラスするが――まあ、あの地球艦隊をこき下ろしたいだけの小説は正直考慮の外とさせてもらいたい。イラっと来るから。
 対人使用が非常に多いが――正直言って、宣戦布告もなしに侵攻してきた我々にも非があると思う。交渉できる相手かどうかは恐らく、波動砲をバカスカ撃ちまくるか否かに関わって来たとしても仕方がない、その面では我々は抗議できる立場にない。

 

 ガトランティス戦役・ヤマト波動砲:合計2ないし3発発射。検討1発。
 ガトランティス戦役・アンドロメダ波動砲:合計1ないし2発発射。中止1発。(艦隊としての発砲約120発は除く)
 ガトランティス戦役・デスラー艦:さらば1発、ヤマト2・2発発射。命中せず。
 

 


 更に後続シリーズではどうか。
 新たなる旅立ちでは結局一度もヤマトは波動砲を撃てなかった。タイミングがなかったという事もあるし、ましてデスラー総統がゴルバに突っ込んでいるのだから、そんな簡単に撃てない。
 ヤマトよ永遠にでは髪ふっさふさ野郎ロータス率いるゴルバ型要塞群に対して発射しようとしたが、グロータスの攻撃が苛烈過ぎて結局無理だった。その後、暗黒星団帝国の本拠地に突入し色々あって出撃してきたグロデーズ5隻に対して発射、更にデザリアム中心核に対して一発発射。これ、銀河を巻き込んだ大爆発だから正直かなり印象は悪い。全部うっかりミスが原因なのだが、まあ、印象は悪い


 暗黒星団帝国戦役・ヤマト:合計2発発射。一発発射中止。
 暗黒星団帝国戦役・デスラー戦闘空母:一発発射、命中するも効果なし。

 

 


 ヤマトⅢは数えるのが面倒。バーナード星(系)第一惑星の東部方面軍前進基地に対して発射。新反射衛生砲とプロトンミサイルの二つを同時に葬った。また、第11話は発射しっぱなし――ダゴン決死のブラックホール誘因作戦で、ブラックホールの重力に対抗するために砲口からエネルギーを出しっぱなし、後に一発発射。
 発射検討はガイデルの東部方面要塞から脱出するために発射を試みた一発がある。また、ガルマン・ガミラス本星に接近したミサイル群に対して一発発射。実波動砲使用はこれが今季最後だったりする。
 対人使用は結局一発のみだが、検討を含めれば二発発射予定だった。非対人使用と合わせると半分は対人使用になりえた。デスラー総統に関しては、ヤマトクルーと大分考え方が異なる為、一括には論じられないため触れない。

 

 銀河大戦・ヤマト:合計3発発射。一発発射検討。
 銀河大戦・デスラー艦:2発発射、全弾命中(正確にはハイパーデスラー砲。通常のデスラー砲・新鋭艦隊の3ないし4斉射=300ないし400発は除く)。

 

 


 完結編では意外な事に一発しか発射できていない
 ルガールjrの艦隊に対してぶっ放した一発で砲口と波動エンジンが破損、以降使用不可能になった。この際惑星を破壊しているが、太陽系の惑星じゃないから知ったこっちゃないという説明が可能。七色星団で対人使用を行おうとしたという事も鑑みれば、まあ沖田艦長なや下しそうな判断といえよう。確かにアクエリアスから延びた水柱を断つために波動砲を使用したが、それはあくまで自沈するため。
 最後の最後で一発しかまともに撃てないというのは中々に中々なストーリー展開。個人的には嫌いじゃない。

 また、死に体のガルマン・ガミラス、最期の雄姿を友の為に見せつけるデスラー総統、まさに第一作からみせたカタストロフィのカリスマここにありといったデスラー砲発射だった。


 ディンギル戦役・ヤマト:1発発射、1発自沈用に発射
 ディンギル戦役・地球艦隊:1発発射、命中せず
 ディンギル戦役・デスラー艦:1発、邪魔者に見事命中

 

 

 

 波動砲の使用傾向、その印象
 厳密に言えば第一作が一番波動砲をぶっ放している。検討も含めれば6発とぶっちぎり。


 テレビシリーズというロングスパンで一番発射が少ないのはヤマトⅢただ、これはガルマン・ガミラスという半分味方みたいな勢力が後ろにいる事も考慮する必要が有る。また、単純に波動砲の使用が難しい場面での戦闘が多数発生し、波動砲を使用しやすい場面ではデスラー総統がハイパーデスラー砲をぶっ放したりと、ヤマトの出番自体が少ない


 波動砲のオンパレードな印象のあるヤマト2も意外な事に4回がせいぜい。さらばとヤマト2では使用場面が大きく異なり、両者を全部を合計すると5回とかなり多くなるが、合算する合理性はない。

 


 対人使用に限ってもガトランティス戦役では検討を含めて3ないし4回銀河大戦では検討を含めて2発。他方、ガミラス戦役では検討を含めて4回も行われている。
 忘れてほしくはないのだが、ガミラス戦役以降の波動砲発射のイメージは地球艦隊も含んだものだろうと思われる。要は、地球艦隊の事。ガトランティス戦役では波動砲が128門以上勢ぞろいし、一回は最低でも斉射を行った。ディンギル戦役でも複数隻の地球戦艦が斉射を行ったし、結局暗黒星団戦役で役に立たなかった無人戦艦も全艦波動砲搭載。

 確かに、波動砲はやたらにある。

 やたらにぶっ放してもいる。が、全部地球艦隊。

 

 

 ヤマトの波動砲に限って言えば別に第一シリーズから使用傾向が変わったことはないのだ。ずっと結構ぶっ放しているし、ずっと結構対人使用を考えていた。ただ、シリーズによって機会に恵まれたか恵まれなかっただけの話なのである。


 地球艦隊とヤマトは大抵の場合において対比の対象として描かれている。ヤマトが波動砲の使用であるとか、宇宙の愛だとか人間の気高さを求めるならば、地球艦隊は基本的にその逆を行く。

 逆を行く中で例えば長官だとか土方総司令だとか、残存駆逐艦の艦長だとかのヤマトと志の上では一致する人物が現れ、地球を守る。

 

 この構図がヤマトの基本であり、その意味では地球艦隊が波動砲使用にためらいがなくてもそれはごく自然な話。ガトランティス戦役での拡散波動砲使用検討だって、土方司令の場合は苦肉の策として決定とした方が自然で、やはりバカスカ撃とうと思って準備したとは言い難い。

 戦術的にも、決戦兵器に頼り切った戦闘は、対策を立てられたらそれまでになってしまうため避けるべき。ディンギルの皆さんを見たでしょう? 地球の場合、アレよりひどくなること請け合い。

 

 確かに波動砲の安売りと言われても仕方ない面もあるが、基本的には単なる高威力兵器。大型火砲なんて歴史上幾つもあり、これらの使用について論議が起こったという類例はほとんどない

 核砲弾ですら、禁忌と言うような扱いでは無かったのだから。後々、平時になって時代が下ってようやくその使用についての疑義や議論が起こるのだ。

 

 

 

 神話成立、その理由
 第一作を神話的作品に高めた理由は、一つにはあまりにも第一作とさらばやヤマト2の作品の性質がかけ離れていた事に起因する。何といっても、従来の冒険作品にはあまりない特攻エンド、そのすぐ後に興行を見据えたのか普通に帰還エンド。前者だけならまだしも後者を見せられては……ファンが製作陣の意志や決意に疑義を呈しても仕方がないだろう。


 テレサの記事で述べたように、アニメ作品の特攻エンドは割合少なくなく、何なら鉄腕アトムだって同じだが……松本作品においてはあまり多くない。今以上に根本的に軍を嫌う人は少なくなかったし、何より冒険譚が基本の松本作品と軍は結構相性が悪い
 要は、ガトランティス戦役は松本作品的にはいびつ、出来損ないのペイストリー。第一作は松本作品らしさに軍を絶妙に織り交ぜたプリンセストルタ見たいなアニメだ。


 冒険譚に波動砲のような高威力兵器は確かにそぐわないかもしれない。
 これほどの影響力の武器を苦悩せずに使う。確かにいびつかもしれない。

 


 ちょっと待て。

 

 

 武器の使用場面を考えるのは第一には司令部の判断だし、波動砲並みの決戦兵器ならば司令部どころか政治マターだろう。

 現場の人間は苦悩するのも単なる武器使用として消化するのも勝手だが、悩んだあげくに使いたくないとごねるのはそれは話が違う。一応軍に所属しているのだから命令には基本的に従わなければならないし、従わなかった場合のペナルティを甘んじて受ける必要が有る。つまりは、古代が波動砲を撃ちたくないなら降格、別の誰かが昇格して撃つだけ。

 これは登場人物それぞれのエピソードとして盛り込むべきものであって、作品全体を左右するものではないそして、そういうエピソードを盛り込むならば25話は短い。遊戯王レベルの100話を平気で超えてくる長期作品や、どっぷり腰を据えたジョジョの奇妙な冒険レベルでなければ不可能。全部割合最近の作品だ

 1970やら80年代では作画的にも作業量的にもストーリー的にもかなり無理なものがある。そもそも、そういう事を考えた上での作品ではないのだから、仕方がない。
 無理なものは無理よ。あの時代では。

 

 


 第一作を神話的作品に高めた理由は、もう一つはあまり後続作品のレベルが低かった――この無念な感じに起因するだろう。
 暗黒星団帝国戦役は私でも合理的な説明を付けるのが難しい、そういわざるを得ない内容だ。はっきり言っちゃうけど。
 銀河大戦では今度はストーリーが第一作風にのったりくったりお説教じみた上に、ヤマト2レベルの唐突な終わり方。これもひどい。
 ディンギル戦役に至ってはそれまでのヤマトのヤバいところを音楽と声優と作画とデスラー総統で無理やり丸く収めたとしか言いようがない。二回目以降の視聴は、はしらふでは感動できん。

 挙句の復活編ダメメカデザイン、使いどころがダメな音楽、ダメ脚本、ダメ原案。ダメ興行とダメダメのオンパレード。ダメのオールスター感謝祭。声優の超絶技巧の無駄遣いとしか言いようがない。キャスティングもなんだか、流行りに乗った感じであまり印象は良くない。

 

 実写版は第一作とさらばのミックス。これ、最初に言ってくれれば案外消化できた可能性がある。が、第一作のリメイクでもさらばのリメイクでもないから取っ散らかってしまっている。

 もっと言えば、キャスティングに難――主演をキムタクから山田涼介か中島健人辺りに差し替えれば興行的に当たった可能性が非常に高い。キムタクはファンも多いがアンチも多いのだ。そもそも年齢が……後述のお二人なら、当時は丁度いい年齢だった。仮に今から実写版の際リメイクをするなら――誰だろう。平野紫耀か。テレビでよく見かける。
 
 


 この体たらく。これはひどい。ストーリーが中々にダメのダメ重ねで、回を重ねるごとに合理性が薄くなってくる。興行的に成功させる気があるのか疑問というレベルだ。
 これが全てさらばとヤマト2という作品の齟齬や、この時点の製作首脳部の姿勢に起因するとあれば……第一作を神格化しても仕方がないだろう。

 

 

 そこへ、投入されたのがリメイクアニメ。
 第一作の冒険譚的側面を大きく前面に出し、それでいて何となく旧作のご都合主義な面を何となく解消したっぽく演出した良作。音楽は宮川泰先生の御子息宮川彬良氏とベストな選択、作画も癖の強い――権利的にも色々ある松本色を排した万人向け。声優も、猫も杓子も浪川大輔だったり梶裕貴と一度波に乗ると一時代を築く声優界……製作側はこういう波に乗って安易なキャスティングをしがちだが、ヤマトリメイクスタッフは、割合一線を画す形でキャスティングを敢行。結果、適材適所へ。

 腹立たしいが、リデザインも結構スマート。
 総監督らしい鬱陶しいお説教シークエンスだとか、不必要なデスラー総統のサイコパス化等々、色々言いたいこともあるが、それなりに楽しめる作品になっていた。
 が、我々のマーチングソングをドメルの為に使ったのは許されない大罪。蛮族とは何事だ無礼者め。反省しろ。

 星巡る方舟は、結構成功した興行――また、さらばで見たあの感じである――を元に作品を展開。ダガーム率いる戦闘艦隊との交戦を描いた。これもまた、2199のイズムを濃厚にした癖のある作品だが、それは好き好きとしても演出的にはかなり良作。若干、ファンサの過ぎる作品で、ご都合主義は否めない内容だが。
 メガルーダを戦車デザインにしたのはあのまりにも愚策・意味不明だが

 

 そしてまたガトランティス戦役で取っ散らかった。せっかく色々うまくいっていたのに取っ散らかった。何やってんだよ小林、福井。
 ストーリーを大幅改変。前作で退いた総監督がテキトーな設定しか残さなかったのをいいことに大幅に我々のキャラクターを変更して意味不明な形に擦り替えた。不要なシーン、副監督や脚本家の今まで携わった作品の焼き回し、携わった作品での鬱憤なんてものを盛大にぶち込み普通に戦闘シーンが合理性を欠いてしまったりとヤバい事になってしまった。

 面倒なのが、これでそれなりにストーリーをなぞっていたり、本質的な面を全くついていないという事はなかったりするから批評しずらい。

 この恐ろしいまでの取っ散らかった作品の燃え上がる炎に燃焼促進剤を放り込んだのは他ならぬ小林副監督でツイッター上でのブロック合戦、空リプの空中戦は今も語り草、福井氏のフォローになっていないフォローも中々。挙句彼らの捨て台詞。色んな人がスクショしてるから探してくださいな。
 しかも脚本家に関しては他の作品でもやらかしていたりするからもう……。
  
 と、作品展開まで旧作をなぞってしまったリメイクアニメ
 2199は基本的にさらば以降の作品の方が好きな人間にとっては許しがたいアニメだった。が、第一作のファンからすれば及第点。2202は、ベースとしてリメイクから入ったファンと2199の全てが嫌いでぶち壊して欲しかった人から支持を受けていた。

 

 

 

 何となく察しが付くだろう、第一作だけは誰からもミソを付けられていない
 そりゃそうだ、原点だもの。誰だって、どんなに厚かましい野郎でも、第一作をリメイクするなら気を付けるさ、第一目だもの。

 二作目からがシリーズの人気をつなぐ作品だ。二作目でこけたり、三作目を作る体力が続かなかった作品は少なくない。が、これは第一作があってこそ。

 

 


 そう、神話の完成。

 

 


 作品中のご都合主義も冒険譚として見ればそんなに目立たない。作画の悪さも当時の環境を考えれば当たり前だ。ストーリーに幾らかみられる未熟さも、アニメが大人も見れる作品へと拡大する過程と考えれば気にならない。


 第一作を単体で見れば色々指摘もできる。が、ヤマトという一連の作品の中に落とし込んだ時、相対的に良作となってしまう。他の作品の方が致命的な失態であったりを侵しており、それに比べれば第一作は比較的そう言ったミスから逃れている。
 単体であれば、我らとの戦いを描いたさらば、ヤマト2ともに第一作以上の大スペクタクルを展開した驚異的な作品である。が、ヤマトという作品の全体を考えた時、ガトランティス戦役の価値というものは大幅に下がってしまう。


 更にリメイクアニメの不思議な高揚感が、第一作にはまだまだポテンシャルがあると、現在でも通用するという期待感を持たせた。

 こういった事情の折り重なりが、第一作を神話にまで押し上げたのである

 

 

 が、紐解いてみるとそんなに神話になるほどの内容ではない。
 まして、この神話の芯となり得る波動砲神話はむしろガトランティス戦役や、まるっきり話題に上らないヤマトⅢの方がふさわしかったりする。反軍的な人物からの攻撃を避けるには非常に都合のいい神話であるが、しかし事実ではないのだから持ち上げるわけにはいかない。
 真実、であるならば――第一作を見ているときの高揚感も含んでの神話であるとするならば、別にそれはそれ。私に異論を唱える筋合いも権利もない。

 ただ、波動砲神話をまるで事実として、妥当な見解の様に見せるのはそれは問題だって事実ではないのだから。

 

 
 本当に第一作を純粋に愛するなら、変な神格化などせず、それぞれが冒険譚としてあるいはスペクタクルとして観るのが相応しいだろう。