旧作ヤマト考察協会

第一作から完結編まで、旧作宇宙戦艦ヤマトを出来る範囲で現実的に考察するブログです。

ヤマト③――宇宙最恐の戦艦――

 

 

 

 戦艦大和大日本帝国海軍最新最大の戦艦として誕生した


 6万トンを超える基準排水量、主砲たる46センチの巨大砲を3基の3連装砲塔に収めた世界最大級の戦艦。特に、46センチに達する主砲を実際に備えた戦闘艦はこの大和型戦艦以外には存在しない。一番艦の艦名にして型名である大和は、現在の奈良県周辺を指した旧国名であると同時に日本国全体の別称でもあるのだ。

 大戦中は徹底してその存在を秘匿され、日本の切り札として、連合艦隊の移動司令部として運用されていた。この上ない華々しさ――
 だが、華々しい要目とは裏腹に、その戦歴は苦しい。

 


 初陣のミッドウェー海戦では山本長官直々の座乗によってミッドウェー海域へ進軍。南雲機動部隊の後方に位置し、同機動部隊がミッドウェー島の守備戦力を粉砕したのち、その砲火を以て味方上陸部隊の行軍を支援する予定だった。

 しかし、会敵する前に空母3隻が枕を並べて討ち死にし、残った飛龍は単独反攻を試みるも敵わず――日本機動部隊の基幹空母のほとんどを喪失してしまった。この結果によって、長官は帰投を決意。ミッドウェー島攻撃の機会は失われる。

 マリアナ沖海戦にて栗田中将の旗艦として参戦。あまりにも敵機動部隊を恐れすぎて味方を誤射する失態を見せる。当然、肝心の米空母攻撃隊に対しても対空用の三式弾を2桁発射し、損害を与えた。しかし、敵機動部隊や護衛そのものとの会敵は叶わなかった。敵機動部隊の攻撃を引き受けることもできなかった。

 続くレイテ沖では大和型戦艦2隻を投入、第二艦隊の基幹戦力として奮戦した。しかし、序盤から潜水艦の雷撃を受けて艦隊旗艦愛宕が戦没、代わって大和が旗艦を引き受けた。中盤、ハルゼー機動部隊の攻撃を受けて姉妹艦武蔵が戦没。タフィ2、3をハルゼーの機動部隊本隊と誤認したまま戦闘を開始し砲撃戦を敢行、しかしその不気味な展開に危惧を示した栗田艦隊司令は反転命令。後方にいるとされた機動部隊に対処すべく前進したものの……実際には誤報レイテ沖海戦は作戦的には失敗してしまった。

 そして最期の作戦参加は、一面ではそれなりに意味のある作戦だが――他方で一面では海軍の矜持の為に行われた天一号作戦であった。

 

 


 アメリカ陸海軍は日本本土上陸に先立ち、戦艦8空母18を擁す太平洋側戦力の中核・第58機動部隊を日本付近へ前進させる。

 イギリスも戦艦2空母5からなる太平洋艦隊を派遣、これと合流。さらに陸軍および海兵隊18万人を呼び寄せ、戦艦以下1千数百隻の大戦力を沖縄沖に集結させた。

 

 これに対し日本軍は航空作戦である菊水一号作戦を発動、呼応する形で天一号作戦を発令。現地守備を担う陸軍第32軍らを救援・上陸部隊を撃滅すべく大和以下の第二艦隊は日本海軍最後の水上部隊として決死の覚悟で出撃した。

 米英艦隊約1千隻の巨大艦隊に対し、第二艦隊は戦艦1・軽巡洋艦1・駆逐艦8の極めて少数の戦闘艦隊で――挑まざるを得なかった。

 偽装進路を取るも早々に米機動部隊に看過されたと判断した第二艦隊は一転、沖縄への直進コースを取る。

 1945年4月7日、第二艦隊は米・第58任務部隊と坊ノ岬沖にて会敵。延べ機数300を優に超える攻撃機群を前に奮戦。次々と襲来する敵編隊に敵わず朝霜が沈没したのを皮切りに浜風、矢矧と沈没。そして大和も2時23分、北緯30度43分 東経128度04分の地点に沈没。霞、磯風も続いて航行不能によって処分、これにより日本海軍最後の戦闘は完全敗北に終わった。

 

 終戦後の1945年8月31日、大和は先に没しその戦没を隠されていた武蔵や扶桑、大鳳や瑞鶴ら大型艦艇と共に除籍された。

 

 


 そして2199年、イスカンダルの技術を含んだ徹底改装により空を飛ぶ戦艦へと変貌、地球人類の存亡をかけて14万8000光年の彼方への苦難の旅に身を投じたのである

 

 


 では、元々のヤマトの任務は何だろうか。
 それは作品によって異なる。石津版の小説や実写版ヤマトでは、宇宙戦艦ヤマトは星間移民船ヤマトであった。

 ガミラスの侵攻に耐え切れず、頼みの地球防衛艦隊は完全に劣勢。人類という種の存続を果たすにはたった一つ、別の惑星に移住する、それだけが取り得る手段であった。そのための大型移民船がかつての大戦艦大和であったという事である。

 それを、たまさかに懐に飛び込んだ奇跡――イスカンダルからもたらされた波動エンジンの設計図。これを転用してコスモクリーナー受領の為の長距離航海や途中のガミラスの攻撃に耐えられる強力な戦闘艦に仕立てた。

 というストーリーだ。

 


 一方、テレビシリーズ等のいわば広くコンセンサスを得た原点は、コスモクリーナー受領の為の光速突破艦である。あまり移民船だとかの話は大きく出ていない。

 肝心なのは兵器は基本的に自衛用という事だ。この点について複数の考察がある為、波動砲の項目で述べたいと思う。何にせよ、元々の建造目的には深い言及とういうものはなく、初めから戦闘艦として建造されていたという見方もできる。

 

 

 松本零士っぽさを重視した場合、やはり星間移民船を元に戦闘能力を引き揚げた艦。

 西崎義展っぽさを重視した場合、どちらかといえば元から有力な新戦艦として建造され、その能力を見込まれイスカンダルへの派遣を拝命した艦。

 

 ベースとしてはやはり強力な自衛火力を有した星間移民船、というところに落ち着くだろう。


 

 


 ヤマトの立ち位置とは何かについて考察したい。


 一つ確実なのはヤマトがガミラス戦時で最新鋭最大最強の戦艦であった事。

 それまでの純地球性宇宙戦艦とは違い、ガミラスと同等の技術を持つ勢力であるイスカンダルの技術をダイレクトに組み込んだ戦艦だ。隔絶した能力を持つという説明に一切のご都合主義と言われる隙は無い。考えようによっては、スターシャが地球人が造れる範囲でガミラスに対抗できるような戦闘可能艦を建造するよう誘導した可能性がある。少なくとも、イスカンダルの技術の全てを掌握している彼女ならばそれが出来る立場にある。
 この時点では、沖田艦長とその幕僚、ひいては地球防衛軍全体がこのヤマトをあくまで外敵を追い払い、地球再生の切り札を持ち帰る為の“希望”であると考えていたとして何ら不思議はない。全くの博打ではあるが

 北号作戦や天一号作戦のような博打では、それでも軍の高官かと問い詰めたくなる運任せな発動が結構ある。この博打に松本零士作品的な冒険譚な側面を見出せる。

 敵と戦うのはあくまで火の粉を振り払うためであり、全く敵意を見せていないような敵に対してわざわざ出向いて殲滅することはついぞなかった。が、反対に勝負を挑んでくる敵には容赦なく波動砲攻撃を視野に入れた戦闘を行った。

 

 

 この艦の立ち位置が少し変わるのが、ガトランティス戦役

 この時点でヤマトは完全に旧式艦だ。廉価版の主力戦艦の数が揃い、大統領の発言にある様に拡大政策を始めた地球連邦には別になかったらなかったで構わない戦艦となっていた。

 さらばでは、政治的というか報復的な意味で廃艦とされてしまうが、一方でヤマト2では廃艦ないし改装を宣告されても仕方がない状態だった。

 第三外周艦隊の旗艦として輸送船団を護衛していたが、艦隊の統率も取れず護衛も失敗しナスカ如きの攻撃に手も足も出ないという大失態をしでかした上に、航行について優先権のあるアンドロメダに対してよくわからん意地を張って軍立違反を艦長代理が犯すという大問題を抱えた。

 

 さらばでは全く政治的でかつての帝国海軍の報復人事を見ているようで胸糞が悪くなるが、ヤマト2では実際的にガトランティスに勝てない上にわけわからん動機で軍律違反をしでかしたのだから報復されても文句は言えないだろう。


 この度の戦闘では、テレサの通信を探るというふわっとした目的で発進したが、ガトランティスの正体を知ると同時に、明確に宇宙と地球を破壊から守る為の作戦行動へと変更した。つまり、敵を殲滅するという初めて能動的な対処方針を固めたという事だ。
 冒険、というのが松本零士作品の一つのテーマと言える。

 善悪の対立やその中にあって善に近い悪や悪に近い善といったものを織り交ぜる。単純に悪と言い切ることが出来ない存在が現れる、それが松本零士作品の特徴といえよう。軍や海賊、あるいはストリートチルドレンが主人公であったとしても方向性は同じ、旅路の中での成長が物語のウェイトを占め、やみくもな戦闘は行わない。戦闘の動機は合理性以上に大義や意義を重視するのだ。

 これが、第一作のヤマトと非常に高い親和性を見せた。

 

 一方さらば以降のヤマト――西Pの意向が強くなったとされる作品群はどちらかといえば軍紀物、ウォーシミュレーションな側面が強い。無論、メッセージ性はかなり強いものであることは間違いないく、内容も別に戦争バンザイではなく松本零士氏と同じような大義であるとかの精神論が強い。じゃなかったらさらばの副題に愛の戦士たちなんて書きませんわ。とはいえ、ヤマトが純粋な軍艦としての表情を見せたのはこのガトランティス戦時が初めてであると言える。

 

 

 次いで暗黒星団帝国との戦闘だが、ヤマトはガトランティス戦と同じく軍艦としての責務を最大の任務としていた。地球が擁するあの時点で唯一戦闘可能な有人戦闘艦であり、もはや旧式とか新式とかそんな理由でどうのこうのいえるような地球軍の状況では無かった。

 

 そして、直後のボラー連邦との対決時にはなんと、再び元来の方向性に立ち返る。作品自体が、回帰している――つまり、地球を救うための冒険だ。
 ダゴンがやらかしてくれたおかげで太陽の核融合化異常増進され、人類は移住先を見付けなければならなくなってしまった。そこでヤマトは惑星探査の特務艦として太陽系外へ派遣される事になる。これが物語の冒頭、つまり未知の宇宙と未知の敵との戦闘を軸にした冒険譚だ。どうも数が確保できていないらしい地球防衛軍ワンオフないしプロトタイプ戦艦を投入してまで移住先探索に力を入れたが、全滅の憂き目を見る事になる。その中で、ヤマトは適宜行われていた改装と、それ以上にクルーの経験や友情という武器によって戦闘を乗り切ってきた
 (ヤマトⅢに関しては内容の毀誉褒貶があまりに激しい為、さらっと流したい)
 

 そして完結編……これもまたさらば系への作品の回帰である
 物語が始まってすぐ、ヤマトが撃沈されて地球艦隊は全滅する。イメージとしてはヤマト2で白色彗星がワープアウトした直後のシーンから映画が始まった、という感じだろう。冒険と言うよりも、地球を救うための作戦行動という側面が極めて強い。メッセージ性というか、メッセージの方向はヤマトⅢと同様に受け取る人によって大いに異なるだろう。そもそも、受け取る前に鬱陶しくなるかもしれない。
 これ以上脱線するわけにはいかないので、作品についてはココで切り上げる。

 

 

 ヤマトの主人公

 作品の主人公ともいえるのがヤマト。正確な事を言えば、古代が主人公というわけでもないし、沖田艦長ら歴代艦長が主人公というわけでもない。2199や2202はベースとしてクルーが主人公であるが、旧作はヤマトが主人公と言って差し支えない

 

 この辺りの感覚は説明するのが難しい。

 

 一度、HMSユリシーズという本を読んでいただきたい。そうすれば私の言いたいことが判ってもらえるだろう。読む気が無い方向けに何とか絞り出すと、艦とクルーは不可分という事。これは海軍あるあるという言い方もできるし、冒険譚あるあるという事もできる。沈む軍艦の上で万歳三唱をしてみたり、羅針盤に体を括りつけて心中する艦長や司令。

 艦は無機物であり、語り掛けたところで答えてくれるわけでは無い。しかし、その精神的なつながりは余人には分からない深いレベルで形成されるもの。これが判らないと、海軍物はいまいち理解しがたいストーリーや描写の連続になってしまうのだ。

 


 ヤマトは主人公である以上、作品によって性格が異なってしまう。作品のメッセージせいによって、ベースは変更ないが表層的な部分が幾らか変更になってしまうという事。

 本当はその傾向が強いとまずいわけですが、それは別として……第一作目以降は戦う事が前提の艦になったことだけは間違いない。ヤマトⅢでは原点回帰な方向性があったものの、原点に比べて戦闘を行う事をいとわないという点が異なる。ラジェンドラ号やバース星でのことは完全にヤマトが余計な横やりを入れていると言って構わないだろう。

 


 これらをまとめると――
 ヤマトは戦艦であり他方、特務艦でもある。
 ヤマトは地球防衛軍の所有物であり、クルーの戦友でもある。

 


 ヤマトクルーの遵法精神ははなはだ疑わしい。対する防衛軍のガバナンスの利かせ方も、防衛会議は狂犬的に強権発動し反対に長官は黙認という、だいぶ怪しい状況。組織としてどうなんだろうか……。というマジまめな話は置いておいて――
 こうなってしまっては旧式であるとかないとかは全く関係なくなってしまうだろう。ヤマトであることが重要で、それによって戦意向上とかの副次的な効果を期待する、艦隊全体ではそういう立場と言えるだろう。かなり無理があるけど。

 クルーとヤマトは不可分な存在であり、その結びつきは非常に大きいものであったとして不思議はない。であるからこそ他の防衛艦隊の艦とは異なり徹底した活躍や、必死の復旧作業による戦闘力維持が行われ、であるからこそ敵と常に優位性を以て戦う事が出来た。

 ヤマトでなければ、あのクルーは能力を発揮できないだろう。実際、他の艦に配属された時には全員中途半端な勤務状況。クルー一人や二人に焦点を置いても物語はつづることが出来ない。クルーが集まったとしても、ヤマトでなければ物語は進まない。ヤマトがあって初めて物語が展開する。

 ヤマトこそが真の主人公、そう結論付けることが可能だろう。

 

 

 

 旧式艦の活躍
 旧式艦は大抵消えるか、改装されて全く異なる姿になることが多い。それはそれとして、旧式艦が新鋭艦と同等の活躍をする余地自体は結構あったりする。


 例えば、イタリアの軽巡洋艦ジュゼッペ・ガリバルディ。彼女は1937年12月1日に就役し、改装のため1953年に一度退役してその後1957年から1961年になんとミサイル巡洋艦に改装されて再就役、そして1971年2月20日に退役したのだ。34年間もの長きにわたってイタリア海軍を支え、しかも退役は財政面が大きかったりする。また、カイオ・ドゥイリオ級戦艦は1916年6月13日に就役して大改装や戦争を挟んで1956年まで40年間運用された。貧乏な国だと、この傾向が強い。


 全く違う、戦力ではないが生存しているという艦もある。
 1866年11月8日就役、今も一応現役扱いの装甲艦ワスカルや、1797年10月21日就役のフリゲート艦USSコンスティテューションがある。こいつらは何と3桁年間もの長い間生存している戦闘艦だ。当然、実践には参加しないが居る事が重要だったりする。


 もう一つ、たまげた海軍所属艦として救難艦コムーナがある。ロシア帝国最末期の1911年に発注された潜水母艦であり、後にサルベージ艦となり、現在は潜水救難艦として運用されている。日本でいえば明治・大正・昭和・平成・令和と生き延びてきたことになる。

 


 長く運用されている艦と言うのはある為、旧式艦が活躍する事の理由づけは難しい事はないのである。むしろ簡単だ。

 それが言いたかった

 

 

 


 白状すると、私は別に地球戦艦ヤマトはそんなに好きじゃないんです。むしろアンドロメダや主力戦艦の方が好き。もっと言えば、ガトランティス艦の方が好き。


 戦艦としての大和も、本音を言えば扶桑みたいな危なっかしいヤツとか三笠みたいな可愛いのとか、摂津みたいな過渡期なデザインが好きで別に大和にはそんなに惹かれない……。加えて、基本的に敵を好きになる人間でして、特撮でもアニメでもおおむねの場合において敵側を応援してしまうので――ヤマトに肩入れする理由がない。味方側を好きになる場合も結局、ちょっと不遇なヤツの方を肩入れをしてしまう。
 魔戒騎士よりホラーの方が好きだし、騎士の中なら鋼牙の黄金騎士は別格としても白夜騎士が好き。実際にはプレイしないから言えることですが、ヲ―とかカステリスクやらメダリオンの弱体化具合がなんとも哀れで肩入れしてしまう……
 例えがバラバラかつ分かりにくくて申し訳ないが、私はこんな感じの傾向です。

 

 ヤマトで唯一私が肩入れするというか、私が地球侵攻側の指揮官であるなばら――としてヤマトを気にかける理由はたった一つ。真田技師長です。彼が居なければヤマトなど存在しないも同然、彼の発明があればこそヤマトは究極の困難を切り抜けられる。出来れば彼を自軍に率いれたいが……無理だろう。


 とまあ……だから、ヤマトにはあんまり思い入れが無いんです。

 そんな私でもこれだけ色々と述べられる。やっぱりすごい艦――と言えなくもない。

 

 

 地球戦艦ヤマトは決して無茶な設定を詰め込まれたご都合主義の塊などではない。

 

 数値に関して言えば若干、問題あるがその描写としては大きな齟齬や矛盾はない。立ち位置も現実に類例がないわけでは無いし、その活躍も単独行動を中心とするからこそ、これもまた現実に類例が存在する。不条理な展開もあるにはあるが、大抵が常識の範囲内に収まったストーリー、その主人公がヤマト。

 

 殺戮兵器を抱え込んではいるが、元来の任務は星間移民船であり地球人類の希望の為に困難な旅路へと臨んだ。軍艦として存在を確立しても、地球人類の命を守る為、ひいては全宇宙の平和を守る為に発進し、クルーと共に命を賭けて飛び立った。

 最期の航海もまた、地球人類を守る為に満身創痍ながらも再び飛び立つ。クルーと共に最善を尽くし、そして自らと引き換えに地球を水没の危機から救ったのである。