旧作ヤマト考察協会

第一作から完結編まで、旧作宇宙戦艦ヤマトを出来る範囲で現実的に考察するブログです。

ガミラスの考察――概論――

 

 

 当ブログでは各論に入るまいに大まかに登場国家を把握するため、概論を設ける。

 今回は、ガミラス帝国が対象だ。

 

 

 国家名:ガミラス帝国

 国家体制:共和政をベースとした独裁制ファシズム的色彩を加味)

 拠点:太陽系サンザーの第8番惑星"ガミラス大帝星”

 主要動力機関:波動エンジン(かもしれない)


 国家体制
 総統による独裁体制。ただし、総統はヴィジュアル以外で貴族としての描写が強調されているかと言えば微妙なラインであり、単なる金持ちと見る事も高貴な出身と見る事も出来る。ブルジョアのようでもあり、昔ながらの騎士のようにも見える。

 これは描写からは判断がつかない

 

 独裁国家にありがちなのは先軍政治で、最高権力者に対する個人崇拝を求める=ファシズムだが、ガミラス帝国もその例に漏れない。

 一見すると民主主義からは極めて遠いようであるが、民主主義から独裁(独裁だからと言って必ずしもファシズムとは限らない事に注意)が生まれることは地球人の特にドイツ人やイタリア、スペイン人はよく知るところだろう。故にデスラー総統が民主主義に立つ独裁であっても全く論理の破綻はない。そこから転化してファシズムに至るのも不思議はない。何なら、国民から自発的に独裁を受け入れファシズム国家を作り上げたとしても、歴史上有りえる事。

 

 女王が隣国に存在している以上、かつてガミラスにおいて血による統治=君主制が行われていても不思議はない。が、現状行われていない点とイスカンダル没交渉な関係を考えると、ガミラス君主制から脱した過程は比較的穏やかだったと思われる。

 君主制から脱したのに結局、強力な指導者である〈総統〉を国家元首に据えたのはガミラス星が寿命を迎えた、或いは戦線が拡大し官僚機構を通していてはいつまでも国家運営が出来ないから――そのどちらかであろう。この場合、国民もまた独裁的なトップダウン的政治を望んでいた可能性が高い。つまり、〈総統〉が生まれる素因が存在していたという事。現状独裁でも、元来は民主的プロセスを経て民主主義を擁護する立場の行政官であったとしても不思議はない。

 

 ただ、ガミラスの植民地運営のレベルの低さというか放置度合いを考えると、行政組織は脆弱だろう。結局大小マゼラン雲を緊急的にまとめてヤマトと対峙する事は出来ず、ヤマト2で総統が直接呼びかけてようやく招集できた程度。

 行政機構が脆弱という事は基本的に官僚機構が脆弱という事。古代ローマや神聖ローマの様なタイプであると推測され、結果、各占領地や植民地あるいは下手すれば本国直轄地も行政の在地トップを中心とした部族的統治が行われても不思議はない。これは近代国家というよりも、中世の貴族政国家。正直、この手合いの国家で真の意味で統率がとれたためしはない。

 

 ダメだ。この国ではヤマトに勝てない

 

 逆にいえば、高度な行政や政治の機構が存在して居ないからこそ、デスラー総統と各司令官の信頼で戦争が有る程度進んでいた。地球侵攻という少々乱暴なグランドヴィジョンも、グランドヴィジョンを示す事自体に意味があった。という表現もできる。

 当然、ガミラスの科学力があったればこそ、実現可能な範囲のグランドヴィジョンではあるが。

  

 

 国家のモチーフ

 モチーフは当然、ナチス・ドイツだろう。外観的な要素は概ねナチスだし、デスラーという名前やシュツルをはじめとした他の将官もドイツ的な名前である。また、地球を求めたのも東方生存圏を求めた彼らにイメージとして近い

 ただ、内情は先に述べたように神聖ローマ帝国や或いはポーランド王国に近い。曲がりなりにも行政機構がしっかりしていたナチスとは、大分違う。

 地球侵攻・戦争の動機はナチス・ドイツの東方生存圏を大きくイメージさせるものであるが、東方生存圏はドイツ民族の生存圏確保であると同時にドイツ民族の亜流的民族を住まわせる事を念頭に置いていた為、少々ガミラスの行動とは性質が違う。どちらかと言えば、ブルガリア・ツァール国ルーマニア王国のような、彼らはなんとかして領土拡大しようと、生存圏を広げようと必死に努力していた国に近い。動機も人口が少なかったり、隣国が強力だったり、様々な理由で今まで勢力が拡大できなかった国々である。ブルガリアに至っては建国当初から列強の思惑に振り回されたから、多少は可哀想な面もある。

 

 ヤマト2は完全に亡命政府であるから最早何と表現のしようもないよくある亡命国家一般国家元首ないしナンバー2の政府高官を中心として複数人が集まり、それを承認する別の国家が存在すれば十分成立する。

 


 デスラー総統
 デスラー総統は、ガミラスをそのカリスマ性でのみ支える恐ろしい男である。ガミラスの等身大であり、ガミラスそのものともいえる。彼の存在がガミラス帝国にファシズム的色彩を加える。つまり、彼の居ないガミラスは存在しない

 

 デスラー総統は不思議な人物である。普通のカリスマとは少し性格が違うのだ。

 カリスマにありがちな凡人へのきつい一言があるかといえば、意外にもそうでもない単純に余計な事ばかりするヒスに対しての当たりが強い以外は別に特段の描写はなかった。はっきり言って、同じカリスマ・天才タイプのドメルがものごっついパワハラ男であることを考えると、むしろ穏やか過ぎるくらい

 

 ヤマト2においても、しくじったバンデベルに対しても特に目立ったお小言もなく射殺。そして、他の面々への処罰はなし――責任の所在をはっきりさせて一点を断じるのはむしろ優秀な統治者であり経営者である。

 大量処罰するだけが能ではない。それに、大抵の独裁者あるいはカリスマはこれでもかと非難し否定し、相手の心を潰す。場合によってはつぶしたうえで処刑する傾向がある。そんな平凡な独裁者やカリスマとデスラー総統は一線を画すのだ

 

 さすがに人間が丸くなったヤマトⅢにおいては、作戦継続に失敗した将軍をその場で射殺、なんてことはなかった――それどころか普通に総統の命令を無視したガイデルに対しても、激怒しただけで人格否定的な発言も特になかった。

 統治を危うくし、テロ活動をしてきたシャルバート星に対しては果断な処理をする点は確かに難点。もう少し人道的な事を考えて欲しいが、テロ活動を当然と破壊活動を行うのは……そりゃ排除されるでしょう。人民を守る為、デスラー総統は心を鬼にしなければならない。


 考え方が狂っているのかといえばそうでもない。地球人類を滅ぼさねば惑星規模の移住は不可能というのも、今日の地球人類の増加や他者に対する不寛容さを考えれば、地球のキャパシティ上……地球人を滅ぼすという考えは理に適っている。共存など、不可能なのだ。

 ヤマトⅢで見せた平和への意欲は多少ねじ曲がってはいるが、力により周辺を征服するというのも極めて迷惑だが、強い国家の元にそれなりの自由を持った小国家群が存在するという形は一定の繁栄と平和をもたらすというのはありえる。例えばオーストリア帝国は諸族を内包していながら、基本的に血で血を洗う戦いを内部に対しては行わなかった。


 『下品な男は不要だ』発言も、恐怖政治を体現するように見えるが、シーンの描写的には『本当に下品な男を始末していただき感謝します総統』というような様子であり、つまらないダジャレが本当にガミラスでは嫌われている可能性がある。総統は基本的に男気とプライドで構成された性格であり、案外愛というものに弱い。

 結構なサディストだが、それ以外はどうも性格的にはかなり普通の人間と言える。だからファシズムの根幹たるカリスマになれたのかもしれないが。逆にね。

 


 戦闘指揮能力は残念ながらあまり高くはなく、基本的に兵器の能力が負けていればそのまま負けてしまう事の方が多い。これは擁護できん。
 カリスマの割に人間としてのデスラー総統は案外普通の人間であり、演説のタイミングでスイッチが入るタイプ。遠大な構想を持ちながらも基本的な人間性は一般市民と大差ない存在。しかも相手を一度信頼すると全く疑わない、少々の失敗もわざわざ尻拭いしてあげるアフターフォロー。

 この人間的な弱さを平気で見せられる大胆さが人柄に接してもなおカリスマを維持できる原動力と思われる。

 この圧倒的なカリスマ性を示す好例が、〈宇宙戦艦ヤマト新たなる旅立ち〉おける一コマ。デスラー戦闘空母の艦橋クルーのほとんどが、ガミラス星が目の前で爆発し消え去った事よりも、母星の消滅にひざを折って嘆く総統の方に視線を注ぎ、こちらの方が重要で心配に値する事と認識しているシーンがある。これは非常に印象的

 

 ヤマトⅢになるとそのカリスマ性に若干の陰りが見えるものの、相手は神であるマザー・シャルバート。しかも反乱を起こしがち、動揺しがちなガルマン民族はガミラス人とは少々歴史の違う道を歩んだ民族。

 生粋のガミラス民族相手とは多少、勝手が異なるようになったのも仕方がないだろう。もっと言えば脚本は第一作の山本暎一氏だし、SF設定担当にはあの 出渕祐氏だから……。

 

 

 デスラー総統について興味深いのは、総統という役職にこだわっている点だろう。だって、ズォーダー5世は大帝だし、スカルダートは聖総統だし、ルガールに至っては大神官大総統。みんな、自分の役職に色々箔をつけている。

 その中でベムラーゼ並みに平凡というか、民主的側面さえ見える役職の総統をデスラーは選び続けた――意味があるとして受け取った方が、キャラクター設定に深みが出る

 

 もしデスラーがただの独裁者になりたければ、王を名乗ったってかまわない。実際に皇帝を名乗った大統領が中央アフリカにいた。隣国イスカンダルのスターシャは女王などと呼ばれることもある。だからこそ〈総統〉にこだわった点が特徴となる。民主的な色彩を持った〈総統〉だから、デスラーにとって意味があったのではないのか

 

 ひょっとすると、デスラー総統は独裁者になりたかったわけでは無いのではないか、とさえ考えられる。

 

 第一作の時点で彼はあくまで民族の未来を賭けていた。当然、トップダウンでなければ物事は動かないだろう。独裁者は大抵、自国民に負担を強いるがデスラー総統は違う。地球人的には迷惑だが。

 第一作で果たせなかった民との約束やヤマトへの執念によってさらばやヤマト2ではガトランティス側に付いたが、ガトランティスが一体民の為に何をしたのか。反対にヤマトクルーは民の為に何をしているのか――デスラー総統が民の事を思って凶行に走ったとすれば、あの心変わりは極めて自然

 ヤマトⅢにおいてデスラー総統は、わざわざ選挙を実施し総統に選出された。そんな事する必要はないのにあえて行った。それがデスラー総統がいかに民を第一に考えていたのか、民によって選ばれた存在であることに意義と誇りを見出していたのかという証として説明できる。

 

 色々ブレることのあるヤマトの世界観だが、デスラー総統はブレることなく民に尽くす為政者を体現し続けていた

 だからこそ、カリスマ性を発揮できた。だからこそ、民は彼を信じてどこまでも付いていったのではないだろうか――それこそ、ヤマト援護に総統がはせ参じた際も。 

 

 

 文化面

 下品なダジャレは嫌い。死刑に値する。ダジャレとウィットと何が違うのかと聞かれたら答えずらいが、米連邦最高裁判事であったポッター・スチュワート氏の言葉をお借りしたい。ともかく、スマートでない事は避けるべきなのだろう。

 ともかくとして、文化は結構貴族的。ドメルの発言からすると、ガミラス帝国の指揮官は多かれ少なかれゲール君の様に前衛美術にはまっているらしい。当然の如く、軍の司令部に私物を大量に持ち込み、しかも前衛美術であることから……そういう豊かさをうっかり求めてしまう所は貴族的と言えるだろう。

 

 飲酒文化(と思われる)が存在し、地球のそれと同じように景気付けであったりねぎらいであったりと様々な場面で見受けられる

 あの下品な将軍の様に、主賓や主人であろうデスラー総統よりも先に酒を飲み、挙句恐らくはお替りをしたのだろう――思いっきり泥酔してしまう。これをしてしまうというメンタル自体が、ある意味で飲酒をかなり普遍的なものとして捉えていると説明づけられる。

 また、思いっきり酒を飲んでから戦闘を行うシーンがヤマト2においてみられたが、そこから察するにガミラス人は酒に強い模様じゃあ、アイツはどんだけ酒を飲んだんだ。

 

 最も特徴的なのは、恥のような文化がある事。無論、他の勢力にも同様の文化は存在するが、内容が特徴的。つまり、敗北自体はそんなに恥ではないという事。敗北に伴う醜態が、最大の問題であるという事

 デスラー総統は何度も敗北している。タランなど、他のガミラス軍人も割と何度も敗北している。だが、最後のワンチャンスを与えられたり、処刑そのものを回避した人間は多数存在するのだ。反対に、問答無用に処刑されてしまった人物もいる。

 彼らの違いは何か――弁明の仕方だろう

 

 シュルツ、ゲール、ドメル、キーリング(ヤマトⅢの登場人物)らは戦闘に失敗し戦線を後退させた。だが、彼らは正直に失敗を謝罪し、挽回することを誓った。シュルツに関しては誓わされた感が強いが、ドメルも弁解はしたがこれは事実関係の説明だから多少方向性が違う。キーリングに至っては謝って青ざめただけで処刑を回避できた。

 ともかく、彼らは自らの行動に責任を持とうとした

 

 他方でヒスとバンデベルは、わざわざ長ったらしい弁明やらを加えて自らの失敗を弁明した。これはかなり無様で騒がしかった、そう評せざるを得ない。

 ヒスは散々太鼓持ち発言を開戦時からべらべらしゃべっておきながら、今更引き返せない段階になってから和平だ何だと叫んだバンデベルも凡ミスをべらべらと、失態を――と、二人とも普通に謝罪だけに収めておけばよかったものを、弁明しまくるから撃たれてしまうのだ。 

 ガトランティスの場合、敗戦は恥であるしかし、それが全力を尽くした上のやむを得ないものであった場合は必ずしも厳罰ではない。監視艦隊司令ミルからすれば、バンデベルは十分頑張ったように見えたのだろう、多分、バンデベル本人も頑張ったのだろう。しかし、ガミラス基準では長ったらしいし弁明をしたのがまずかった。

 

 ガミラスにとっても敗戦は恥である。

 しかし、より大きな恥は敗戦の責任をごまかそうとする事。責任の所在を自身から遠ざけようとする事だ。騎士道的あるいは武士道的というか、カタストロフィ的恥の文化と形容できよう。

 この潔さ――デスラー総統自身のカタストロフィとガミラスのこのカタストロフィ的恥の文化の結合が極めて強固で、ガミラス人の熱狂と結びついたのは無理からぬことであろう。

 

 

 波動エンジン
 本当に波動エンジンを用いているかは不明。ただ、恐らくはガミラスも波動エンジンを主要機関としているだろう。場合によってはイスカンダル製の波動エンジンより性能が劣るか、量産タイプで性能がいまいちであるかもしれない。

 が、波動エンジンは動力源(主発電機)としての使用で推進に関しては案外、核パルス推進だったりするかも。正直な所、全部不明

 少なくとも確定的なのが、ガミラスのエンジンはイスカンダル・地球の製作した波動エンジンより一段劣る。という点。

 

 イマイチ、ヤマトに勝てなかったのは兵装が悪かったからなのかもしれない。が、エンジンが悪いのかもしれない。ともかくとして、数字だけ見れば有能そうな艦のスペックが生かし切れていない常にガミラス艦は発電力ないしエンジン出力が不足で、足も砲も全て他の勢力より下方傾向にある。残念ながら。

 この辺りの設定は示されておらず、描写にもない為不明だが……ガミラス人は波動エンジンを主に星間航行用の機関として見ていたという、2199案を採用すると波動エンジンの出力をノリノリで兵器の動力源とはさせなかった。だからいつも出力が中途半端だったと説明できる。波動エンジンはワープに使うだけの、ごくごく限定的な利用で、電源として動かした際のエネルギーはほぼほぼ航行用の動力に消え、その余剰を兵装使用に使ったという事。それでも電源としての波動エンジンは大出力だから今までは特に問題なかったが、ヤマトが波動エンジンを直接兵装の動力源として使った結果、明らかに後れを取ってしまった。

 つまり、彼らは波動砲を見るまでは兵器にそのまま転用できるという発想はなかった。どっちみち、今までのやり方ではアレは作れなかった。という事になる。

 波動エンジンの能力発揮の前提が航行に限定されており――本来は戦闘に用いる出力を提供する機関ではなかった。これ、悔しいけど意外と納まりのいい話かもしれない。

 

 

 兵器

 全般に火力不足な感は否めない。数は大小マゼラン雲を制覇しただけあって総力としては十分だが、火力も装甲もあまり質の良いものではない。ショックカノンのような特殊なものでは無く、フェーザー砲という実は単なる高出力なビーム砲が主兵装。これは心もとない。

 また、戦力に関する考え方もかなり特殊な部類で、航空戦力に対してあまり理解がない。大型の戦略兵器もデスラー砲以外にないというのも、不思議だが――ガミラスはガトランティスやボラー連邦以上の数の力を以て敵を粉砕するのがベースの戦略を立てていた。と説明づけられるだろう。

 

 確かに、個の戦力はかなり低い。肝心の数も、可及的速やかに集めるには一個一個の艦隊が少し小規模で不安が残る。そもそも、艦隊単位よりも指揮官ないし軍管区を基準とした単位での運用=ワイマール共和国及びナチス・ドイツ式の運用である可能性が高く……物量以外の正攻法では勝てる要素がどんどん少なくなってくるのがガミラス軍

 その代わり、生物兵器や特殊兵器等のビックリメカに力を入れた。軍全体の弱点を、アイディアで上回ろうという事だろう。若干精神論的だがそれなりに意味と効果のある方針で、後代ガトランティスとの同盟でガミラス式の奇襲・強襲戦は一つの戦略・戦術的完成を見た。

 また、地形や要塞を用いた戦略的な戦闘も行うなど、軍としてのあたりの弱さをカバーしている。戦闘を一個の物として認識するよりも、戦略の一環として認識している、と説明できるだろう。

 

 

 ガミラスとはデスラー総統自身であるといえる。

 第一作において総統は本国を離れたから、ガミラスは壊滅した。さらばにおいて総統は瀕死であり、また彼が最期を迎えたからガミラスは滅亡した。

 他方でヤマト2において総統は健在で健康、だからガミラスも強力だった。総統の意志が強固だったから暗黒星団帝国との交戦にも生き延び、帝国を再建した。総統が年を重ねて角が取れたから、ガルマン・ガミラスはその統治が若干困難になった。総統がヤマトと地球に心を寄せたからこそ最後の艦隊は共にヤマトの窮地を救うべくはせ参じた。

 ガミラスは総統自身であり、総統はガミラス自身。

 ガミラスがガルマン・ガミラスとなった時から総統の役割にはめどが付き、ガルマン・ガミラスがその姿を消したからこそ総統もまた姿を消した。