大帝星ガトランティスを探る ・国家体制――国家を覆う白いベール①
私はガトランティスの何に惚れこんでいるかといえば、そのオマージュ性と国家体制のリアリティである。
確かに、ガトランティスの国家体制は明言はほとんどない。不明なものである。
だが、しかし、描写から推測する事が可能なのだ。
国家体制やその国家としての形態が推測できる描写について、以下の通りに箇条書きする。
大帝の敬称が閣下:帝や王の敬称は通常、陛下。公爵等の貴族であれば殿下、宗教界の君主であれば猊下ないし聖下。
〈全宇宙はわが故郷〉:イデオロギーの存在
帝国支配庁の存在:近代的統治機構の存在、あるいは分業制で統治する事の示唆。
ナンバードフリートと、それ以外の艦隊の存在:高度ないし効率的にに組織化された軍事の証左。
ぱっと見は、きわめて強力な帝権を以て自国民と他国を制圧する専制国家に見える。実際、圧倒的な軍事力を背景に全てを跪かせるのが大帝星ガトランティスだ。
しかし、この閣下という敬称は帝にも王にも貴族にも相応しくない敬称なのだ。(単にオリジナル製作陣&2202スタッフの無知ってしたらつまらないでしょ?)
陛下、殿下、閣下とはそれぞれ『宮城の階下』、『殿舎の階下』、『高殿の下』を意味する。要は帝や王は陛下、それ以外の貴族は全て殿下、非貴族出身の高官役人・高位軍人は全て閣下と敬称を付ける。
教皇や総主教は聖下、仏教神道の最高位聖職者は猊下(教皇に対してもこの敬称でも格としては問題はない)、高位聖職者に対しては台下などの敬称がある。
この、最高権力者を閣下と呼ぶ点に注目すると、面白い指摘が出来る。
つまり、ガトランティスは実は共和政である可能性が浮上するのだ。
皇帝の種類
地球上の皇帝には3種類ある。秦、漢、晋、ペルシャ、オスマン。ローマ、神聖ローマ、ビザンツ。ハイチ、中央アフリカ。歴史上様々な帝国が存在し、その君主として皇帝やそれに比定できる存在が現れた。
これらは、時代によって微妙に正確や必要条件や十分条件が変わるが、しかし3つ程度に大別出来る。
天上から命を受けて地上の諸族を支配する東洋的な皇帝
SPQR(古代ローマの正式名称)に源流を持つヨーロッパ的な皇帝
国民から信任を受けたナポレオン的皇帝
東洋的皇帝は天命によるもので王の徳を凌駕する徳と力を以て、地上の全て諸王を統べる、割合に非制度的なを持つ存在である。構造としては存在しているが、伝統の積み重ねとして存在しているが、法的な根拠があるわけでは無い。法を凌駕する天の代行者として端を発するのだ。
中国周辺域的な皇帝は周王の権威を凌駕するために始皇帝が持ち出したもので、あるがペルシャの場合は自然発生に近い。東洋的と言うと中国を念頭に置く人もいるかもしれないが、オリエントだって一応東洋。
オリエント的皇帝は諸王の王と言うのが基本にある。地域にいくつも存在する王を従え、その全てを兼ねうる存在が皇帝(シャー)だ。アケメネス朝から始まるペルシャ帝国は常に連邦制に近い体制を取り、中央集権的なササン朝であっても権力構造が容易に複層化・鼎立状態に陥った。これも、征服先の王位や権力基盤がそのまま残存していたから。
ペルシャ地域だけではなく、インド地域や何ならメソアメリカ地域における皇帝もこの諸王の王を大前提とした皇帝位である。
ローマ的皇帝は、突然現れた訳でも啓示を受けた権力者が言い出したわけでもない。そもそもローマ皇帝は存在しない。今明かされる衝撃の真実。
ローマ皇帝と通称されるこの存在は概ね、軍最高司令官と最高神祇官を兼任する第一人者(元老院で最初に発言する議員の事)の名誉と護民官に由来する拒否権を保有している執政官でなければならない。これらの職をただ一人で保有・行使できる者だけが、ローマによるの世界の支配権を行使することが出来るのだ。
ローマ史に興味の無い方には、意味不明ですよね。
何でこんなまどろっこしい存在が誕生したかといえば、ローマが専制君主アレルギーだったから。初代王ロムルスは名君であったが、7代王タルクニィウス・スペルブスは暴君としてローマ市民にその支配権を否定されて追放された(実際には留守にした最中に締め出しを食った。背景には王個人の気質とは別に、割と民族問題もあったらしい)。
この時からローマは一人の個人による専制を否定し、何重にもトラップを仕掛けて独裁者の誕生を防いできた。
例えば執政官職が2人同時に存在する事。しかもその任期は1年のみ。直後の再選は緊急事態を除きあり得ない。少なくとも、2人のうちどちらかは必ず入れ替わっている。しかも前執政官職というのも存在し、執政官と同様の権限を持つ。状況によっては頭が4つになるというわけである。当然、本当にヤバい状況(戦争で負けている)においては独裁官という職を臨時に設置し、任期は結局1年。
どう頑張っても一個人の独裁体制を築けないのである。これは行政の部分。
立法府である元老院が執政官を任命するのだが、この元老院の権限はきわめて強力で執政官相手だろうが何だろうが政治家相手にはかなり圧倒的な優越的な権限を有す。
行政府も立法府も場合によっては太刀打ちできないのが国民の代弁者である護民官。護民官の有する拒否権は恐ろしいほどの効力を持ち、元老院の思惑など関係なしに一発廃案に追い込める。立法行政の二府に対する司法府としての役割を持っているのだ。
この支配構造は、独裁という劇薬の使用を徹底して禁止することが出来る。発生する可能性すら排除できる。
禁止も排除もできるが……自浄作用が発揮できなければずっと腐ったままになってしまう。世界の状況の変化も関係なしに、政治家同士や組織同士が角を付き合わせるという状況が発生してしまうのである。
それを打開したのがユリウス・カエサルであり、ブレイクスルーをもたらしたのがオクタヴィアヌスである。
ユリウス・カエサルは民意で元老院を脅して、任期の限定されている独裁官を終身制に変更させた。
ただこれはこの男特有の表面に出過ぎる上昇志向が仇となり、王制復活を画策したとされて暗殺されてしまった。実際、彼のプランの内いくつかは血統による支配もあっただろう。しかし、人気に任せて反対派を潰そうとした彼は、共和政派をあまりに侮り過ぎた。何より、8年も(8年しか、が正しい)ガリア征服で元老院を離れていたのは、彼の政治勘を鈍らせたのかもしれない。
オクタヴィアヌスはこの義父の失敗を完全に学習した。
民衆の中にも存在する君主による統治を否定するグループをちゃんと把握していたし、どろどろとした元老院の勢力図もちゃんと理解していた。だから、彼は共和政派を取り込むことに全力を尽くした。だから、あの役職の兼任というまどろっこしい方法をとったのだ。
彼の所有した複数の権限は、それ一つ一つだけではより上位の権限が存在する。
つまり――単なる名誉でしかない第一人者は、護民官の拒否権を超越できず、護民官は元老院のような政策審議であるとか行政官の選任には参加できない。
神官の長といえる最高神祇官は政治的な権限は小さく、政界に対する影響力は小さいが、古代社会において神を無視して事を進めることは不可能。
軍最高司令官に限らず軍司令官は元老院議員が立候補で国境地帯へ出動するが、ローマ本国内に帰還する前に必ず軍を解体する必要が有る。だが、治安維持には軍が必要、荘園拡大には領土が必要だが軍によって帝国を拡大しなければならない。
執政官には任期=ローマの法という最高の権力が立ちはだかる。前執政官や独裁官相手には権限を行使し様にも同格で、どれもこれも任期を覆すことはできない。
しかし、これらが一人の人間に集まれば、どうなるだろうか。役職の権限を否定できる別の権限を、同一人物が持つとうい状況が発生する。他者の妨害を受けず、自身の権限を肯定も否定も出来る唯一の存在、それが自分自身。
しかも、全部一気に獲得したわけでは無いから、元老院も気が付かない。元老院も馬鹿ではない。だがしかし、オクタヴィアヌスは内戦の勝利者であり、共和政の擁護者・信奉者として振る舞い、元老院や神々に対し謙虚な姿勢を見せるているこれ以上ない為政者。しかも中肉中背の美男子と、容貌まで加わってその完璧超人ぶりを完成させている。これら全ての要素が、反抗しずらい状況を創り出す……
元老院の中には彼がしくじるのを願ったものも居ようが、しかし彼はしくじらなかった。軍事的にも晩年を除いて、当代最強の将軍アグリッパが完璧に体制を整えていたし、オクタヴィアヌスは元老院をうまくいなし、広く浅くをモットーに税収の確保に成功した。
オクタヴィアヌスが元老院からかすめ取ったものがあるとすれば、尊厳者という称号。つまり、アウグストゥス。
実際的なローマの統治権を一つ上げるならば軍最高司令官、
理念上のローマ統治権を一つ上げるならば間違いなくアウグストゥス。
この称号は基本的に軍司令官職や最高神祇官職を兼帯する形となり、これらを掌中に収めたものは必ず執政官に当選する。だから、アウグストゥスの称号を持つものがローマの皇帝と呼ばれた。
補足すると、元老院から贈られる称号は結構世襲的側面がある。ゲルマ二クスの称号を受けた者の息子もゲルマニア遠征に参加してそれなりに戦果をあげれば甘い基準でゲルマ二クスの称号を受ける。ゲルマ二クスの称号で呼ばれる偉人を輩出した家はかなりの人数ゲルマ二クスの称号を受け取る男子が連なってくるのだ。だから、アウグストゥスも初期においては血統に結び付いて継承されていった。
これが、東洋的な皇帝に重ね合わされる形で認識され、エンパイアの日本語訳が帝国、エンペラーの日本語訳が皇帝が採用されたのだ。どちらの語も元来は統治権や支配権に端を発する意味を持つ。
何が言いたかったかというと、ローマ皇帝は役職である。また、そのどれをとっても共和政に根源を成す。役人としての側面が非常に強い専制君主、それがローマ皇帝なのだ。
もし、ガトランティスが共和政に端を発する帝政であるとするならば、大帝の地位の根源は官僚や国民に奉仕する政治家としての役職と考えられる。
民主主義と皇帝
次は、大帝の権力の根本が民主主義から発生しうるかを考察する。
王政の単純な発展形としての独裁・帝政は実は案外成立が難しい。
独裁的な帝を想定する場合、どうしても手足=官僚が必要。しかし、王政をベースにすると意外に難しい。どうしても役人が貴族になってしまうのだ、これがマズイ。
西洋にも官僚制は存在する。しかし、東洋的官僚制とは違い世襲制なのだ。大抵の場合に貴族が名を連ね、独自の権力を築くことを悪いとは思っていないのだ。君主のカリスマ性や貴族個人の性格により、君主にお仕えするタイプも居るが、それ以外も結構多い。何なら我を強くすることこそが国家への貢献だと思うタイプもいたりするから大変。オリバーレス伯なんかはこれに近い。
この原因は、王と貴族の間にある関係が主従関係や金銭の貸借関係などによって結びついているからである。要は王と貴族とは契約関係の類型。
利点としては、カリスマ性ではなく契約関係であるため、その関係解消が行われない限り安泰と言える。お互いにお互いの存在を脅かさない、その前提が守られる限りにおいては両者とも協力関係になる。これら各種の官職は世襲制であり、階層が固定化されるため王が見張るべき存在は限られ、統治が楽になる。ノウハウはそれぞれの家に蓄積されるため、中央がマルチタスクを発揮して教育を施す必要もない。
が、当然問題も生じる。
最大の問題は貴族の肥大化であり、王権を凌ぐ勢いの貴族誕生も珍しくはない。しかも階層が固定される為、数の多い貧乏貴族はむしろ民衆側につき、裕福な貴族は他国の貴族・王と結びつくため、どちらの貴族も君主に対する忠誠を誓う必要が経済的にはない。これはトップが帝であろうが王であろうが関係なしにありうる危険である。
メロヴィングやカロリング朝は好例。案外、高麗や李氏朝鮮も同じ状況に置かれていた。
しかも、民衆はこれらの背景を認識することなく、鍬を振り上げて王宮に突撃してくるもんだから、いくら王がまともでも、その下の貴族がろくでもなければ一発で国が騒乱の渦に巻き込まれる。で、問題の構造を理解せず破壊するだけだから同じような間違いを民衆自身が犯す。
これらを避けるには、どうしても、東洋的な官僚制度を導入しなければならない。これが無ければ、帝の独裁体制は確立できない。
東洋的官僚というものは元来世襲しないものである。試験によって登用される存在。その任命は形式上にせよ、実際にせよ帝の判断によるところである。
試験によって登用される官僚は帝の望む能力を確実に備えた優秀な人物であり、権力基盤だけいっちょ前な世襲貴族とは格が違う。しかも首を切る切らないは任命権者である帝の一存による。
この官僚が、財力やコネといった武器を所有する貴族の対抗馬として帝の周辺をがっちり固めるのだ。そして高い志や帝への恩返し、あるいは自身の安泰を原動力に彼らは帝を必死に支える。
こちらにも問題はある。つまり人数が多い事だ。
驚異的な量の行業務を、帝とその支配下にある官僚が受け持つのだ。官僚を大量に採用しなければ用をなさない。そうでなければ帝以外の権力や実力者が統治に介入してきてしまう。
裏を返せばこの官僚制度に付帯する専門性やマンパワーが帝に牙をむく可能性が常に存在する。業務にいそしむだけで組織が肥大化するの危険をはらむのだ。この肥大化した官僚機構は、時として帝の独裁を妨げる事もある。官僚が老獪で相手が幼帝だと政治は帝の手から完全に離れてしまう、官僚側が官僚自身の血縁者を集めて独自の“王朝”を築くこともある。官僚同士の反目も中々に危険。
これらの危険因子は国家統治機構の世代交代を鈍化させる。また、宗室の瓦解や最終的には国家の崩壊を招く。中国の南朝系国家がいい例だろう。
君主が国民である民主主義体制でも東洋的官僚が必要なのはご承知の通り。
国民が官僚に求める事は業務に対する専門性や業務遂行の公平性、確実性である。
業務遂行の公平性は全国民を対象に行われる登用試験を用い、純粋に業務としての手続きを通して各地に配置されることによって保たれる。つまり、東洋的官僚でなければこの要件を満たせないのだ。
当然、国民から選ばれた代表が任命権者でなければならないが、それは別の精度の問題。官僚に限って言えば、任命権者と国家の法に従う官僚であれば、それで十分。そもそも、そうでなければならない。であるなら余計、高官は重ねて二代三代がせいぜいの東洋的官僚は丁度いい存在。経済的に弱い官僚を多数輩出するこの制度はなお、丁度いい。
しかし、形式的にも実情的にも、これは皇帝の独裁を支える官僚機構と寸分たがわない体制なのである。
民主主義のバグ
この官僚の任命権者は国民から選ばれる。つまり、国民の代表。ところが、バグが生じる場合もあるのだ。
民主主義の寡頭政的性格=共和制は見事に政治を停滞させる。元々暴走を阻止するモノなのだから、何事もゆっくり進むのは仕方がない。だが選ばれた政治家の質が悪ければ、何も決められなくなる。また、政治家が能力で選ばれるかどうかは選挙民によるところで、選挙民の質が悪ければ選ばれる政治家も外面がいいだけの低レベルな人間が選ばれてしまう。
本来共和政は一定程度の質を保った人間を議会に送り出すのが理念なのだが……その一定程度の質すら担保できなくなるとそこには最早、民主主義の地獄が現れてしまう。
端的に言えば、バカや詐欺師やエゴイストが投票する側にせよ投票される側にせよ、一人でも参加してしまえば途端に機能不全に陥るのが民主主義の弱点なのだ。しかも、詐欺師ほど多数立候補し、正義漢づらする。バカほど何も考えずに投票して正義漢づらする。衆愚政治とデマゴギー。
この弱点を解消できない場合、国民は強烈な不満を政府や議会に対して抱く。ろくでもない議会の誕生は他ならぬ、私を含めた愚か者の手によるものなのにね。
この衆愚政治の担い手は次にどんな失態をしでかすかといえば――政権交代ではない。政権交代自体はまあ、交代先の質も問題だが、悪い選択ではない。成熟した議会制民主主義を用いて来たイギリスやアメリカはそれで長い間、進歩こそ大してしなかったが、日本の様に残念なすっころび方はしなかった。アメリカは最近すっ転んだが……。
衆愚政治の担い手が犯しやすい失態、それは政権交代すら失敗した場合に起きる。
最後の希望すら成し遂げられなかったとき、主義主張が右であろうが左であろうが皆が、金持ちであろうがなかろうが、同じことを頭に思い浮かべる……そう、
独裁者の希求だ。
政治が停滞するのは停滞させようとする敵がいると煽動者が吹き込み、これを解消するには最も機動性のある政治体制を構築するしかないと国民に刷り込む。
最も機動性のある政治体制とは、議会というまどろっこしい立法機関や常にブレーキをかけてくる司法機関をすっ飛ばせる最高権力者の創設でしか実行できない。今まで国をむしばんでいた反乱分子を排除できるだけの国民に対する超越的な権限を有し、全軍を指揮下に置く絶対的な指導者。
それが、カリスマである。それが、独裁者である。
最悪の結果をもたらすか、あるいは最高の結果をもたらすかわからない劇薬を、国民は熱狂の中で誕生させてしまう。これが民主主義の最大の弱点であり、悪癖なのだ。
歴史を振り返ってお分かりの通り、民主主義の方が独裁者は出やすい傾向にある。
ヒトラーは法の網の目をかいくぐりあるいは、ぎりぎりのラインで活動を繰り返し、形式的には適法の範囲で政権を奪取した。しかも民衆はこれをある程度支持し、より恐ろしい外敵に備えた。ヒトラーははっきり言って単体では無能以外の何物でも無い。彼の幕僚・閣僚にひとかどならぬ人物が多数紛れ込んでいたから、ナチスドイツはそれなりに成功を収めたのだ。
毛沢東も主義主張の偏りはあったが、蒋介石よりかはマシという事で支持を集めた。おおむね国内を治めた後は、欧米よりもマシという理由で国民の支持を集め、西側諸国と対峙した。彼は西側から見ればおかしな話かもしれないが、少なくとも中国では国民が求めたカリスマだったのである。あまり、優れた政治が出来たとは思えないが。
毛沢東の対立者である蒋介石もあれはあれで一応カリスマだし、だから台湾に逃げて国民党政権を再建することが出来たと言えよう。何でも自分でやろうとするわ、物凄く自滅傾向が強い上に、それを回りに押し付ける癖があったが。
ヒトラーや蒋介石のようなカリスマ性に頼っただけの、無能な人間ばかりが独裁者なるわけでは無い。
それなりに能力のあったナポレオン1世と3世はそれぞれ、決められない政治を体現する総裁政府、第3共和政を非難し国民投票によって皇帝位を射止めた。
同じく決して無能ではないムッソリーニもまた、中央政府の経済的失策を徹底的に非難。武装組織で勇ましくローマ進軍をし、行動する自身を国民に示すことで政権を取った。王と国民の支持を取りつけた。
ソ連崩壊後、形式として(未熟な)民主主義の中からルカシェンコはかつて、あのプーチン相手に様々な要求を突きつけ、返す刀でEUを脅した。この功績を以て国民に歓待を受けている。当然、プーチン大統領もまた、ソ連時代のような強いロシアを体現することで国民の支持を集めている。
無論、どの独裁者にも反対する者は居るが反対するものと同じ数かそれ以上の数を、同じ熱量かそれ以上の熱量で支持する者がいる。それがカリスマであり独裁者。
別に、狡猾に民主主義を破壊した者ばかりではない。民の中に徹底して潜り込むものも少なくはない。独裁には良し悪しとは関係なしに、傾向として権威主義や全体主義などと言った細分類がある。
国民の支持を受けるベルディムハメドフもまた、全体主義的な政策を推し進める独裁傾向の強い人物だ。独裁者ネタニヤフ首相の後釜だから少し寛容になるだけで物凄くマイルドに見えるだけとも言えるが、熱狂を背景にしてかすめ取ったわけでは無い。一応、統治機構的には正しいやり方で政権を取った。
権威主義系では賢王ジグミ・シンゲ・ワンチュクも独裁と言える。ブータン国民の絶対的な尊崇を受ける君主であったが、彼は極めて開明的な人物であった。が、形式的には独裁体制と呼べる。
この権威主義分類においては実は日本の歴代首相もあてはまる。
余人をもって代えがたいとか、制度上の理由になっていない理由で制度をどんどん個人の為に捻じ曲げる。一面的な見方で規制を岩盤規制と言って敵視したり、政策を乗っ取ったのにまるで自分たちで考えたように見せかけ失敗は全て前の政権のせいにする。国内問題から目をそらすために外に敵を作る。論点ずらしで議論を避ける癖に反論させろとのたまい、結局論点ずらしに終始。国会が進まないのも全て野党のせいであり、野党の存在を単なる邪魔者としか見ていない。野党も野党で、乗っ取ったら今度は与党のやり方をおおむね踏襲するのだからおそろっしい。
これ、結構悪質なパターン。誰かが踏みとどまってくれればいいのだが、与党内野党も結局この負の連鎖を補完する存在以外の何物でも無いから、どうしようもない。これがまかり通るのも結局、決まったことだから。昔からの習慣だから。他似ないから。
完全に権威主義分類の独裁、それもかなり低レベルなもの。
独裁体制とはざっくり、長期に同じ人間が同じ権力の座に居座り、都合の悪い法を法の下に自身の利用しやすい形にすり替える体制。と説明づけられる。だがケースバイケースが多く、それ以上の言い方は難しい。
別に、国民を監視するとか塗炭の苦しみにあわせるとか、そんな話は必要条件ではない。それは十分条件である。何なら、独裁者が嬉々として国民を苦しませる事例は多くはないのだ。ある意味意外だが。
独裁者としての必要条件は――法を平然と捻じ曲げ、国民が望むからとうそぶく事だろう。
長々と書き綴ったが、要点は民主主義の方が独裁が誕生しやすく、一度誕生した場合は、失態をしない限りは極めて長期にその命脈を保つという事。それを言いたかった。