旧作ヤマト考察協会

第一作から完結編まで、旧作宇宙戦艦ヤマトを出来る範囲で現実的に考察するブログです。

ミッドウェー ――勝ち得なかった海戦――

 

 恐らく、ヤマト2の土星圏総力戦フェーベ沖航空戦のモデルになったであろうミッドウェー海戦

 ミッドウェー海戦は如何にすれば勝てたか。これはミリオタも歴オタも右翼も国粋主義者も議論する永遠の課題みたいなものである。
 ただ、かつて一般に言われていた勝機=いわゆる運命の5分間に関して言えば――はっきり言ってそんなタイミングも決断もなかったという可能性が高い。

 

 というより、初めから勝つ可能性だけはなかった海戦と言えるのである。実はこれだけは動かしようがなかったりするのだ。

 

 

 ミッドウェー作戦、その目的

 ミッドウェー島は日米双方にとって太平洋の支配確保をする為の重要拠点であった。丁度、太平洋の中央付近に存在するこの島は、日米双方にとって確保できれば中間補給基地として機能させることが可能。

 日本軍はココを抑えることが出来れば理論上、長征という危険を犯さず十分な戦略的部隊展開が可能になるのだ。また、ハワイやウェーク島に近く、アメリカ軍の拠点を用意に叩くことが可能で、サンフランシスコまでアメリカ太平洋艦隊を押し戻すことさえ夢ではない。

 反対にアメリカはココを取られてしまえば、対日戦闘において大きな損失となる。

 ミッドウェー島は関が原というよりも、名実ともに天王山に例えるのが相応しいだろう。

 

 日本軍

 日本首脳部の統一見解は対米戦の長期化は避けるべし、であった。戦術での勝利は幾らでも積み重ねられるが――それさえも否定的な参謀も多かったが――戦略的な勝利を重ねて正面切ってアメリカに勝てるはずなど、無いと初めからみんな分かっていた。短期決戦・短期講和こそ日本が生き残る唯一の道。

 ゆえに、ミッドウェー作戦の主な目的は太平洋の支配権確立のためにど真ん中にあるこの島を占領することが戦略上不可欠。この太平洋支配の拠点構築に成功し、一定期間占領を継続できればアメリカに講和を迫りやすくなることはほぼ確実だった。だからこの島を何としても占領しなければならない

 この程度はアメリカ側だって危惧している事だろう、だからこそアメリカ側は仮に空母が残存していた場合はその全力を挙げて周辺域へ投入してくるだろう――そこを日本海軍機動部隊の総力を挙げて逆襲するこれが作戦の第二目標であった。

 

 

 アメリカ軍
 他方、アメリカは当然日本側の各種の動きは想定済みであり、日本が戦争を長引かせたくない事は察しがついていた。だから負けっぱなしの状態で講和に踏み切らざるを得なくなるような展開=太平洋における拠点となり得る島の喪失は絶対に避けなければならなかった

 ニミッツ提督は取られても十分取り返す算段が出来ただろうが、しかし政治や世論がそれを許すだろうか? という点において、ミッドウェー島占領は避ける必要が有る

 だから損害など度返しで手持ちの空母を全力で投入、日本機動部隊に仮に負けたとしても島を堅持できればいい、それが第一目標。うまく日本空母をまとめて棄損させれば御の字

 

 

 


 参加兵力


 日本側参加兵力
 総数:艦艇157隻+350機(戦闘機107、爆撃機92、雷撃機102、偵察機41+α、観測機8+α)+陸兵約5000名

 

 第一航空艦隊:第一航空戦隊/第二航空戦隊/第八戦隊/第三戦隊/第十戦隊(第四駆逐隊・第十駆逐隊・第十七駆逐隊・油槽艦
旗艦〈赤城〉以下空母総数4(戦84、艦爆84、艦攻93)、戦艦2、重巡2、軽巡1、駆逐艦12、油槽艦8
司令長官:南雲忠一中将
次席以下/山口多聞少将、阿部弘毅少将、木村進少将他

 

 連合艦隊:(第一戦隊/第三水雷戦隊/空母隊/特務隊/油槽艦
/(第一艦隊:第二戦隊/第九戦隊/第二四駆逐隊/第二七駆逐隊/第二〇駆逐隊/油槽艦
/(第二艦隊:第四戦隊第一小隊/第五戦隊/第三戦隊第一小隊/第四水雷戦隊(第二駆逐隊・第九駆逐隊・空母瑞鳳)/油槽艦/(第七戦隊/(第八駆逐隊/(第二水雷戦隊(第一五駆逐隊・第一六駆逐隊・第一八駆逐隊/哨戒艇/第一一航空戦隊/輸送船(ミッドウェー諸島占領隊)/油槽艦(陸戦隊)
旗艦〈大和〉以下戦艦総数9、空母2(戦11、艦攻8+戦12、艦攻9)、水上機母艦4(偵察機約41、観測機8)、重巡8、軽巡5、駆逐艦39、哨戒艇4、油槽艦10、工作艦1、輸送船18、一個陸戦隊、陸軍第7師団支隊(一木支隊)
司令長官:山本五十六大将(総司令官)
次席以下/高須四郎中将、近藤信竹中将、大田実海軍大佐、一木清直陸軍大佐他

 

 第六艦隊(先遣部隊):第八潜水戦隊/第三潜水戦隊/第五潜水戦隊
旗艦・軽巡〈香取〉、潜水母艦〈愛国丸〉〈報国丸〉、同〈靖国丸〉、同〈りおでじゃねいろ丸〉。潜水艦総数23隻
司令長官:小松輝久中将

 

 


 アメリカ側参加兵力
 総数:艦艇約49+335(戦闘機106・爆撃機151・雷撃機47)+陸兵3027人

 

 第17任務群:第2群/第4群(第2駆逐戦隊/第5群(ヨークタウン航空群
空母1(戦闘機25、爆撃機18+19、雷撃機15)、重巡2、駆逐艦6
司令長官:フランク・J・フレッチャー少将(空母部隊総司令)

 

 第16任務群:第2群(第6巡洋隊/第4群(第1駆逐戦隊/第5群(エンタープライズ航空群・ホーネット航空群・第16任務部隊給油群
空母2(戦闘機54、爆撃機38+38、雷撃機26)、重巡5、軽巡1、駆逐11、給油艦2
司令長官:レイモンド・A・スプルーアンス少将


 太平洋艦隊潜水艦部隊/第一戦隊/第二戦隊/第三戦隊
潜水艦19
司令長官:ロバート・H・イングリッシュ少将

 

 ミッドウェー島守備隊:基地海軍航空隊/第22海兵航空群/第7陸軍航空群分遣隊/地上部隊(第2急襲大隊・第6海兵大隊・第1魚雷艇戦隊
司令:シリル・T・シマード大佐
カタリナ飛行艇31、戦27(バッファロー20、ワイルドキャット7)、艦攻6(アベンジャー6)、爆27(ヴィンディケイター11、ドーントレス16)、B‐26陸軍爆撃機4、B‐17戦略爆撃機17

 ミッドウェー島配備火力:1941年12月のミッドウェー島砲撃の時点で5インチ砲6門、3インチ高角砲12門、
機銃60基が存在していた為、同等かそれ以上の防衛力を有していたとみて当然だろう。

 

 

 

 

 日米航空戦力の力

 まず、日米の航空戦力が持つ威力=爆弾や魚雷の投下力を考える必要が有るだろう。いくら技量が高くとも、元の能力に彼我の差があっては挽回のしようもないだろう。ここをはっきりさせることは極めて重要だろう。

 

 日本側航空戦力の威力
 ゼロ戦も爆装可能だが――するべきじゃない気がするため、省く。実際に爆装した話も聞かないし。
 中心だった九九艦爆250キロ爆弾を搭載可能、他方で九七艦攻800キロ魚雷1本ないし同等の爆弾か、同等になるようなキロ数の爆弾を数発搭載可能。

 計算上、ミッドウェーを空襲した友永隊は艦爆の9トン+艦攻の28トンの爆撃力を有することになる。一空母当たり赤城加賀がそれぞれ艦爆4.5トンずつ、蒼龍飛龍が艦攻14トンずつを出撃させた。残存兵力の攻撃力は蒼龍と飛龍の艦爆36機の4.5トンずつ、赤城と加賀の艦攻41機がぶら下げている41本の魚雷である。特に後者は対米空母用にあらかじめ用意しておいた虎の子
 飛龍の第一次攻撃隊は艦爆を中心に4.5トンを投下可能、第二次攻撃隊は艦攻を中心に魚雷10本ないし爆弾を8トンを投下可能だった。

 

 アメリカ側航空戦力の威力

 B-25は初期型で1.6トンを搭載可能、B-17に至っては5.8トンほどを搭載可能。さすが“フォートレス”。
 陸上配備だったアベンジャー魚雷一本ないし0.9トン爆弾一発、或いは200キロ強の爆弾を4発搭載可能。空母艦載機として搭載されていたデスバテーターじゃなかった デヴァステイターは同様に魚雷一本か400キロ強の爆弾を一発搭載可能。それ以下の小型爆弾であれば2発から12発搭載可能。
 空母艦載機の中心を務めたドーントレス最大で1トンの搭載量を誇り、陸上配備だったヴィンディケイター400キロ強の爆弾を一発搭載可能。

 ミッドウェー島が送り出した第一次攻撃隊は3.6トンの爆弾(ないし魚雷6発)と26.8トンの爆弾を投下可能。エンタープライズ攻撃隊は魚雷14本と33トンの爆弾ホーネット攻撃隊は魚雷15本と35トンの爆弾、続いて出撃したヨークタウン攻撃隊は魚雷12本と17トンの爆弾を投下可能だった。実際には10機程の束になって散発的ないし複合的に空襲を行った為、大体10トンないし10発の魚雷のが断続的に南雲機動隊を襲ったのである。

 


 これは火を見るよりも明らかだろうどう考えても日本軍の方が劣勢である。数では確かに互角かもしれないが、質量的にはどう考えても圧倒的に日本が足りない


 シマードのざっくり指揮のおかげで混成部隊でアレな状態だったミッドウェー基地航空隊だが、これだって攻撃に回ればその力は馬鹿にならず、これを迎撃するだけでも煩わしい。

 フレッチャー率いる空母機動部隊から発進する航空隊に至っては十分な練度で士気も十分、これが散発的とはいえ襲い掛かってくる。どの部隊も10本の魚雷か10トンの爆弾を浴びせかけてくるのだ。
 こりゃ敵わんわ。

 

 

 日米攻撃隊の力の比較

 日本軍は雷装であればアメリカ軍と互角である。しかし、艦爆については米側の1/4しか能力がなく、どう頑張っても箸にも棒にもかからない。この差は大きいだろう。

 無論、日本側の攻撃が成功すれば米さんだって痛手であろうが、撃滅するのには能力不足。何度も何度も出撃を繰り返さなければ、アメリカ軍と同等の爆弾投下量を空母なり島なりに投下することは不可能なのだ。


 艦攻の搭載爆弾であれば、これは十分な破壊を期待できる。爆撃であったとて、これは甲板だろうが地面だろうがかなりの損害を与えることが可能だろう。しかし、半分はどうあっても対空母用に残しておきたかったし、魚雷ならば確実に空母を仕留めることが可能。また、友永隊があれほど苦戦するとは思っていなかったというのが南雲提督の本音だろう。

 無論、充実期に達したパイロットを要する南雲機動部隊ならば、直掩が大多数の敵機を叩き落し得ただろうし、実際その通りだった。また、対空砲火もちゃんと機能すれば容易に接近はできず、回避運動をとることで陸上の滑走路とはけた違いの安全を確保することが可能だった。

 
 とはいえ、である。


 南雲機動部隊はミッドウェー島と米空母艦隊の双方を同時に相手しなければならなかったのだ。要は、敵を叩くときは二つの方面へ航空隊を差し向ける必要がどうしても生じてしまうのである

 敵一部隊に対して1個航空戦隊の航空隊を差し向けるとして、艦爆ないし艦攻が総数40弱と戦闘機約20の合計60弱。総力を挙げた場合、艦爆艦攻合わせて80機と戦闘機30強を合わせた100機ほどを一つの目標に対して叩きつけることが可能である。それに比べれば少々不安であることは否めない。

 

 他方でアメリカ側はミッドウェー島は26の戦闘機と約40の艦爆艦攻を迎撃に送り出し、フレッチャー機動部隊は一空母当たり戦闘機10と艦爆艦攻約50を送り出した。しかも艦攻はデヴァステイターだから心もとないが、しかし艦爆はドーントレスと非常に強力で何と30機。ヨークタウンのみ、第一次攻撃隊はエンタープライズやホーネットの半分なのだが、すかさず偵察部隊を組み替えて“第1.5次攻撃隊”の発艦準備を行う。
 要は、アメリカはその一戦、その一戦毎に、全てを賭けるべく発進可能な空母艦載機のほぼ全力を一度に発進させるのだ。いつも通りの戦闘ではあるのだが、これがかなり強力。

 彼らは常に南雲機動部隊の倍の数を発進させて、南雲機動部隊より圧倒的な爆弾投下力を以て攻撃を行ったのである。

 

 

 戦力の計算
 南雲機動部隊がミッドウェー海戦時に出撃させた戦力を一空母当たり1と計算すると――南雲機動部隊は4。他方でアメリカ側は一空母当たりが2に相当するため、フレッチャー機動部隊は6。プラス、ミッドウェー島の1の合計7だ。
 数的な意味では完全に南雲機動部隊が負けている。挙句、4を投入したのにミッドウェー島の制圧にも失敗していた。

 仮に第五航空戦隊の瑞鶴と翔鶴の2がプラスされれば、魚雷約20本と爆弾8.7トンを投下可能であり、たとえ多少技量が劣ったとしても、フレッチャー機動部隊の6と互角に並ぶ。が――結局は島の分だけ1負けている。そもそも兵員補充が間に合わなかったから参加できなかった。

 アリューシャン列島へ差し向けた陽動部隊の航空戦力=第四航空戦隊の龍驤と隼鷹は、南雲機動部隊に編入できた一番現実的な戦力。だとしても、2空母は合同で攻撃隊を出撃させた場合概ね魚雷14本、爆弾1.5トンを投下可能な程度であり、残念ながら二隻合わせて正規空母ないし中型空母1にしか相当しないため、劣勢は挽回不可。

 やはり、数値には完全に南雲機動部隊が負けている。


 南雲機動部隊は全力を挙げてフレッチャー機動部隊を攻撃したならば、かなりの確率で無力化ないし撃沈可能だっただろう。が、第二次攻撃をする前にフレッチャー機動部隊が繰り出した第一次攻撃隊の餌食になって、二度目の攻撃を行う前に全滅した可能性が非常に高い。第四、第五航空戦隊を編入したとしても、非常に苦しい戦いだった。

 他方、フレッチャー機動部隊は南雲機動部隊との一対一の対決であったとしても確実に互角には持ち込めた、うまくいけば勝利可能だった。他方、南雲機動部隊はたとえ一対一の対決であっても普通に戦えば大損害を負い、うまくいっても刺し違えることが可能程度。

 

 フレッチャーは勝つことは難しかったが、負ける事はあり得なかった。

 南雲は全滅する可能性は低かったが、勝つ事はあり得なかったのである。

 

 

 

 勝てば戦争の帰趨は変わったか?

 戦争の帰趨から言えば、結局のところ――同じだろう
 なにせ、どうあがいても南雲機動部隊はそれまでの日本機動部隊の戦い方では性能の上がって来たアメリカ軍機相手では大幅な劣勢。しかも、互角に持ち込んだとして、艦が残ったとしても結局はパイロットを大量喪失してしまう。
 損失から言えば、ミッドウェー海戦では実際に機体が200機強失われ、パイロットも110名を喪失している。飛龍単艦で米空母3隻を相手に大立ち回りをしたのだから、ある意味では当然かもしれないが……飛龍の全機体を喪失し、その搭乗員72名も喪失している。また、他の3隻でも10人ほどが戦死、10機ずつは最低でも失っているのだ。

 

 無論、アメリカ側も甚大な被害が出ていた。
 総数で150ほどを失い、デヴァステイターはほぼ全滅。200人ものパイロットが戦死してしまった。かなり重大な損害であることには変わりはない。

 ただ、軍人口比から言えば――日本にとっての100人のパイロットとアメリカにとっての200人のパイロットは意味合いが大きく異なる。また、機体が時代遅れだったというのも喪失の原因であり、日本のそれとは様相が少々異なる。

 

 さらに、後継機開発がアメリカに比べて鈍かった、戦術が硬直的。どっちみち、アメリカ相手に劣勢になったことは間違いないだろう。 

 

 

 

 勝てば島を占領できたのか?

 当然、勝てば島を占領できた。戦艦群の主砲を以て地形を変え放題だったし、航空戦力が少しでも残っていれば快適な防衛戦を展開することが可能だった。

 

 維持できたのであろうか?  恐らく出来ただろう。短い間ならば……。実際に維持をするつもりがあったのは、空母が基地に駐留させるつもりで持ってきた防空隊の存在で証明することが出来るだろう。

 真珠湾攻撃の時から、山本長官以下の連合艦隊司令部は常に短期決戦・早期講和を求めていた。つまり、ミッドウェー島を占領してもその数カ月以内に日米講和が成立すると踏み、そのためのミッドウェー島占領を敢行したウロボロス的理由スパイラルだ。

 であるならば、少々現実味というか、コスパ的に疑問があったとしても、島を占領し続ける事、しかもそこそこ強力な航空隊や何なら戦艦でも置いておけば十分守備隊は踏ん張れる。踏ん張っていることに意味があると、判断して当然だろう。

 

 

 

 ミッドウェー

  ―幻のターニングポイント―
 このミッドウェー海戦では日本の敗北は決定的にはならなかったといえる。なぜなら、いわゆるターニングポイント説というにはあまりに日本軍は強固な戦力を残していたし、アメリカ軍は直近においてピンチであったからだ

 

 ミッドウェー後の時点でアメリカ側は太平洋に割ける空母は2隻であるのに対し、日本は瑞鶴翔鶴がまだ残っていた。また、低速だが十分な艦載機運用能力を持つ隼鷹飛鷹、一段収容力が劣る反面速力は十分な龍驤瑞鳳など、箱自体は十分残っていた。つまり、新第一航空戦隊と新第二航空戦隊である。機数だけでいえば前者は約170機、後者は約140機を擁する。
 あんまり使っていない龍鳳、足は遅いわ20機ぐらいしか載せられないわと散々な能力な大鷹型3空母と改装が決定したプラス2隻、同じく改装決定した千歳千代田、建造中の大鳳、開戦直後から建造開始して計画を前倒しした雲龍等、まだ箱だけならば日本は用意できたし、それだけの余力は一応あった。


 他方、アメリカは大西洋にレンジャーワスプ(後に太平洋へ転戦)と2隻。そして太平洋で残存しているエンタープライズホーネット。就役を待つエセックス、建造中のヨークタウンイントレピッド、起工したてのホーネット。太平洋には2隻・約150機、大西洋に2隻・約150機の総数4隻・約300機。待てば完成するのが1隻・約100機、翌年以降に期待が持てる2隻・約200機。
 ミッドウェー海戦終了時点、箱だけであれば互角かうまくいけば、実はアメリカより優勢になり得たのである。戦力投入も、戦艦群を無理やり前線に投入して砲台化してしまってもよかった。

 ミッドウェー後も、日本軍はアメリカにとって脅威になり得る戦力を十分保有していたのだ。

 

 

 ターニングポイントは帰趨に与するものでなければならない。そうでなければ単なるビックリ事件なだけ。ミッドウェーはターニングポイントというよりも後者に近い。

 ここで仮に勝ったとしても、日本軍の体質や世論に技術開発の発展度合いが海戦以前と同じままではどっちみち負けていただろう。アメリカは海戦に前後して工業力にブーストをかけていたが、それがある限りいつかアメリカ軍に追い抜かれていた。日本はアメリカをビビらせて講和に追い込まねばならないが、アメリカは日本がへばるまで待って降伏させればいい。この差は非常に大きく、海戦一つでひっくり返るようなものでは無い。

 太平洋戦争は真珠湾攻撃でミスった時点でほとんど日本の勝利の可能性はなくなり、米議会が大型予算を軍に投入した時点で引き分けの可能性もなくなったといっても過言ではないだろう。

 

 予算が形を成す=新鋭空母完成の手前でアメリカをビビらせることが出来れば話は違っただろうが、結果はご存じの通り。アメリカを激怒させたりビックリはさせたが、おびえさせるには至らず。怯えさせえる戦力自体はあったが、残念――油と意気地がなかった……。

 ようやく怯えさせた頃=神風特攻開始時にはアメリカ軍も多大な金をかけて引き返せない状況であり、無条件以外の条件を日本に提示するわけがなかった。

 

 


 では、本当に日本軍が守勢に回る具体的なきっかけはどこであったか南太平洋海戦だろう。最近の流行に乗った感じがするのは非常に不本意だが、本当に日本がこれっぽっちも、偶然に頼らないで勝てる可能性が無くなってしまったのだ。