旧作ヤマト考察協会

第一作から完結編まで、旧作宇宙戦艦ヤマトを出来る範囲で現実的に考察するブログです。

2202の真面目な考察Ⅰ 大帝というキャラクターの差異

 

 

 やぱり2202という作品が存在しているのに概ねスルーしたり、そのくせ時折通り魔的に批判しているこの姿勢は制作に関わった声優さんやアニメターさんや音楽家の皆さん、あるいは広報担当の方や必死に提灯記事をまとめた芸能記者さんたちに失礼だろう。枠をあげたテレ東にも失礼だろう。

 それに、2202について厭味ったらしいテキトーな批判ばかりではさすがにこのブログの品位(そんなものがあるかは疑問だが)を問われかねない。仮に単なる批判を批評に出来たなら、それは今後作品を鑑賞する全ての人にそれなりに利益をもたらすものになるだろう。

 また、旧作との違いを考察することでリメイクと旧作両方の作品を深く掘り下げることが可能――なはず。同じ批判的ニュアンスであっても、真面目に考察することでその内容の厚みはまったく変わるといえよう。多分そうだと思いたい

 そこで今回は大帝に焦点を当てて比べてみたいと思う

 

 

 原作/リメイク、大帝の差異

 原作とリメイク作の大きな違いはガトランティスが普通に進化を経た人間であるか、兵器として作られた人造人間であるかに立脚している。この決定的違いは当然キャラクターの性格に大きな影響を与えるし、それぞれの行動に合理性を付与する。場合によっては描写の合理性を毀損する可能性もあるが

 

 前者に関して言えば特に述べるべきこともなく、人間であるからこそイデオロギーや欲によって傍若無人な行動も平気で正当化できてしまうと説明できる。このイデオロギーの暴走した、いわば彼らにとってのみ通用する正義の集団の長がズォーダー5世大帝だ。

 5世大帝の目的は全宇宙を支配する事だが、5世大帝は全宇宙を征服することに関して、実は絶対に成し遂げたいと思うような動機はないただ、先祖の意志を遂行しているだけ、これが王道だと思って突き進んでいる

 ずっと昔からそうと決まっている事で、都市帝国を維持する為やガトランティスを盛り立てるには戦争を続け宇宙を制覇することが不可欠――というのが当たり前で一定程度事実であるとすれば、ここに疑問を差し挟む余地はない。旧作におけるガトランティスは生きる為に他者を征服しているが、これに対して否定も肯定もなく、ともかく実行して当然という程度の認識というのは特筆に値する。

 某深夜特撮の指輪の言葉にある様に「腹が減ったから飯を食う、それと同じ」と同じような物であろう。一部の人にしか伝わらない例えで申し訳ないが。

 

 

 一方で後者、リメイク版は丸っきり話が異なる。

 確かに、目を引くし結構ビックリな話の展開だったが、それだけ。何で人造人間にしたのか理解に苦しむし、これが原因でいろんな作品の二番煎じ臭がひどくなっている。二番煎じっぽさが2199の期待を背負った2202、旧作や前作ファンを振り払ってでも創り上げた設定の根幹だとしたら……残念無念。

 別に普通の人間でも内省の果てに同じ結果に至るという可能性は十分あるだろう。わざわざ人造人間にする必要性……悪い言い方をすると、深く描くだけの――なかったのかな?。

 

 タイプ・ズォーダーの能力に関しても某深夜特撮の敵〈レギュレイス〉と全く同じだから面白みがない。悪い事に牙狼と2202は放送局と放送時間がかぶっている上に、人間側から描いているからホラーが悪であるだけでホラー側から描いたら人間は単なるエサ以外の何物でもなくなるし魔戒騎士は当然敵になる、というのが第一作の傾向でありこれも被る。

 ちなみにレギュレイス様の声はグレムト・ゲール君が担当していたりする――それは置いておいて……。

 

 タイプ・ズォーダーの捻じ曲がった人類に対する行動の全ては、人造人間という部分にかなりを依存するだろう

 人造人間という存在は、自身の意思の介在は別にして曲がりなりにも自ら進化し道を切り開いた人類とは全く別。造られたという事は当然創造主の意図があり、しかもそれが兵器としての利用であったのがガトランティス。自らの意志の介在はなく、発展を望まれるでもない、ただひたすらゼムリア人の剣となり盾となる運命を望まれた。

 そりゃ、ねじ曲がって当然だろう。これは人類を憎んでしかるべきだろう。タイプ・ズォーダー以外のガトランティスが人類に対していい感情を持っていないのも無理はない。

 しかもタイプ・ズォーダーに関しては複雑な事情が絡む

 つまり彼の妻であるゼムリア人のサーベラーとその間に生まれたミル(正確には自身のクローン)、これをゼムリア人は人質に取り、どうにも従順じゃないガトランティスを踏みつぶそうとその拠点を無理やり聞き出そうと試みたのだ。ガトランティスの王であったタイプ・ズォーダーは同胞と家族を天秤にかけ、家族を取ったがゼムリア人は約束を反故にして二人を殺害。

 結果、タイプ・ズォーダーは家族と大半の同胞を自分の判断ミスで失ってしまう。ミスといっても彼が根幹たる失態をしたというわけでもないのにね。

 

 この復讐のために滅びの方舟を探し、これを占領することで全ての人類種抹殺の旅を開始したのである。

 さらに非常にややこしいのは、滅びの方舟を手に入れた時点ですでにゼムリアは滅亡状態だったという事要は、復讐相手を失ってしまったという事だ。これは可哀想。憎いゼムリアは内乱で勝手に自滅状態で、滅ぼす価値すらなかった。他方で、安穏とアーケアリスの計画の一部のくせに自分で進化したと思っている人類種が幸福を享受している。

 タイプ・ズォーダーが人類種に絶望し、憎み、最早その復讐の矛先を絞らなくなったのも無理はない。

 

 両者の違いを例えるならば……

 両者の違いは批判と誤解を恐れず、良い悪いを別にして例えれば野田首相と安倍首相の違いに近い。

 歴史上の人物ならば、前者は池田首相やオーストリア皇帝フランツ1世あるいは神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世に近い。印象が悪い例を付け加えればムッソリーニレーニン。後者は西ローマ皇帝ホノリウスやフランス王ルイ9世プロイセン王フリードリヒ2世に近い。悪い例えを付け加えればヒトラースターリンあるいは森首相。

 

 つまるところ、前者は自身が所属する対象に対し忠誠を捧げ、それの為には執念を燃やして最善を尽くす。執念というより、最善を尽くした合理的行動という方が正しいだろう。仮に自身が所属する対象の障害となれば、自身の処遇は所属の不利益にならないように手を尽くす。自身が正義ではなく、所属する対象の中に正義が存在している、だから躊躇なく行動に起こせる。

 当然、池田首相のように例外は存在するが、基本的には――残念ながら武骨で真面目で面白みのないタイプが多い。最悪、味方から嫌われる。

 

 反対に後者は所属する対象に対しての忠誠あるにはある。が、自身に対する正直さの方が大きく、自身と所属する対象とを合一化してしまう癖が強い。この自身に対する正直さに焦点を当て、その理由を自身の中に正義があるという事で説明をつけ、拡大化――自身の中に正義がある故、自身の燃やす執念が所属対象と一体になって実現されて当然、それでこそ世界が好転すると割と本気で想っているタイプ。個人の利益や願いを集団全体の利益に転化し、正当化し、自分は自分の為ではなく周りのために働いているという構図を作り勝ちなタイプ。迷惑な事に本人、本気で自分の望みが世界の幸せにつながると思ってるんだよ。

 案外カリスマタイプの指導者に多く、統治能力が低いと後で散々けなされてしまう。

 

 

 ズォーダー5世大帝はまさに、前者にあるような集団の代弁者的側面が強い。本人にはどうしても計画を遂行したいという執念を燃やすきっかけも必要性もない。必要性があるとすれば、自身の所属する集団がそれを望むから、という程度。集団の存続のための方策であれば、それは遂行する執念を持たすに足るが、全く個人的理由ではない。都市帝国崩壊まで執念を見せた事の無かった5世大帝にとって、宇宙征服はその程度の事であろう。第一は大帝星ガトランティスの存続とみて間違いない。

 タイプ・ズォーダーはまさに、後者の個人的利益の追求者の側面が強い。暴走したから権力を掌握できるため、ある意味で登位した瞬間から暴走しているに近い。集団の未来を考えれば自身が身を切るべきタイミング、退くべきタイミングを無視し、自身の権力維持こそが集団の未来であると転化させてしまっている。この手合いの指導者に、集団の過去・現在・未来を客観的に見ろといっても無理だし、引き摺り下ろす以外に暴走を止める方法はない。復讐すべき先を失い、取っ散らかった理由で味方を窮地に陥れ、意固地になって地球との休戦を却下し、結局全てを失う。ある意味解放された、彼にとっての幸福に近い選択なのかもしれないが、それに付き合わされてゴレム発動の巻き添えを食らったガトランティス諸兄があまりに不憫。

 

 

 人類に対する考え方の差

 ズォーダー5世大帝はタイプ・ズォーダーと比較してみると、実は宇宙に広がる人類種というものに対して非常にドライ。ガトランティスという存在の存続にのみ興味があり、同胞に対しての厚い信頼と共感を持つ一方で、他の人類種については特に興味なし。執念を持つ=一味違った人間にのみ興味を示すが、それ以外に対してはほとんど捨て置いてしまう。ガトランティス・ファーストな帝国主義とも違った考え方を持つが、彼は極普通の国家元首の一人だ。

 言い方を変えれば結構冷徹で人間味がない、哲学的な側面が割に薄い為政者と表現できるだろう

 為政者が必ずしも哲学者である必要はないのだから、責める必要はない。ただ、彼の内面を深く描くとなった場合はガトランティスのポリティカルな側面を描く必要がある為、これは作品が変わってしまう。

 

 タイプ・ズォーダーは人類が嫌いだし憎んでいるが、反対に人類という存在に対して特別な感情を抱いている事は間違いない。直接的に類例を示すなら、映画〈プロメテウス〉や〈エイリアン:コヴェナント〉に登場したデヴィッドだろう。タイプ・ズォーダーは彼のような、自身の存在に対する興味・疑問・期待・希望や創造主に対する興味・疑問・期待・希望を持った哲学的創造性の激しい人物だ。

 タイプ・ズォーダーは先に述べたデヴィッドがそうしたように、創造主とその縁者である人類種全てを滅ぼし、一方で自身もまた創造主に近づき置き換わろうとする。2202に置いてガトランティスは国家ではなく組織でも勢力でもないに等しい。有機的なつながりを持った“何か”である。つまるところ彼は、為政者でも無ければ将軍でもない。下手をすれば統率者ですらない――彼はただひたすら哲学者であり探求者であり科学者だった

 

 

 さらばやヤマト2をリメイクするにあたってガトランティスを人造人間にする必要があったかなかったについては……あんまり肯定的な評価はできない。リメイクしたズォーダーの性格を補強はし得たが、それ以上ではない。また、2199と2202のつながりがぼろっかすになっている点も触れない

 今回は大帝の原作とリメイク作での違いにのみ焦点を当てた旧作において大帝は軍司令官としての側面はほとんど見せなかったが為政者としてはそれなりに有能、予想屋としても意外に的中率が高かった。ただひたすら、数代にわたり続くガトランティスの君主としての存在でありそれ以上でもそれ以下でも無かった。悪い言い方をすれば、内面はほとんど描いてはいなかったといえる

 他方でリメイク作はびっくりするほど味方殺しな行動を起こし、予想は大外れ。こいつのせいでガトランティスがちょいちょい苦戦を強いられていたといっても過言ではない。結構ご都合主義にヤマトを助けてしまった側面が少なくはない。だが、2202は彼の内面にも焦点を当ててストーリーを描いた。これは旧作には見られなかった事であり、様々な要素を併せ持つ彼は結構、興味深いキャラクターと言えるかもしれない

 

 

 象徴的ではあったが実はストーリー的には重要では無かったキャラクターが、実はズォーダー大帝。それがリメイクにおいては準主役に近いまでのウェイトを占めるようになった。これはある意味、驚異的な事。

 全体的なストーリーは正直全く気に入らないが、このタイプ・ズォーダーというキャラクターは大帝のリメイク案としては結構見どころはあったといえる。全然、作品の表現に活かされてはいないが