旧作ヤマト考察協会

第一作から完結編まで、旧作宇宙戦艦ヤマトを出来る範囲で現実的に考察するブログです。

2202の真面目な考察Ⅱ 巨大艦隊の合理性

 

 2202の最大の特徴は艦隊規模の圧倒的巨大さだろう。ヤマトらしさがそこにあるのか、という事に加えてこれに合理性を与えられるのかについて、旧作との比較に置いて探りたい。

 

 

 巨大艦隊の妥当性

 脚本担当の大先生はインタビュー記事(ネットに投稿されたもので、多分――探せば今も見れるはず)の中で、ヤマトは何千もの戦艦が戦うのが醍醐味だとか何とかおっしゃったそう。この時点で認識がおかしいのではないのかと、大いに疑問に思う少なくともヤマトと銀英伝を見事かつ致命的にとり違えているのではないだろうかだって、ヤマト史上唯一に近い大規模艦隊戦は約500隻のバルゼー艦隊と約200隻の土方艦隊によって行われた土星決戦のみ。あとは2桁隻程度を擁するぐらいの中規模艦隊がせいぜい。これには対ガミラス冥王星戦と対ディンギル土星沖戦も含む。巨大艦隊が“レギュラー”で登場し始めたのはヤマトⅢだが、今度は巨大艦隊を相手にヤマトがたった1隻で立ち向かうというシチュエーションがほとんど。

 数千数万の巨大艦隊同士がぶつかり合う戦闘はヤマトでは行われた事はなかったと断言しても構わないだろう。

 

 ちなみに――

 銀英伝は田中先生がナポレオン時代の戦争を元に、1隻=1兵士を勘定として描いたという話が伝わっているため――まあ、あの時代の戦闘を元にしているなら当然数万隻が平気で集結してしかるべきだろう。ローエングラム朝艦隊は100万隻1億人の定数を目指していたようだが、これはまさにフランス革命時の動員力150万人に近い隻数だ。

 これだけの数が必要な理由は、広大な宇宙空間を支配しているから――と説明は付けられるだろう。桁を一つぐらい削ってもいい気もするが……

 平面な戦闘は……艦首に砲が集中しており、砲撃を開始すると艦隊が挙動する前に双方が正面切って応戦しなければ中途半端に被弾してしまう危険が生じる為、平面な戦闘にならざるを得ない。

 と説明できるだろう。ちょっと苦しいが、幾つかの描写を引っ張ってくれば、何とか押し切れる。

 

 

 しかし、ヤマトは事情が異なる

 まず、大艦隊にする事は原作の雰囲気をぶち壊す事であり、ぶち壊す事以外には意味がない。先に述べたように、巨大艦隊はヤマトではほとんど存在しなかったからである。また、それぞれの勢力としても別に巨大艦隊を仕立てる必要性は特にないのだ。

 

 

 ガトランティス大量の艦艇を保有する必要性として――ここの時点で実はけっつまずく。なにせ移動性かつ植民支配をほぼ行わないという事は、支配の為の警備の必要がないし、拠点ごと移動して行うため襲撃が非常に有機的で攻撃も防護も艦艇を集中的に運用できる。ゆえに、ガトランティスが気を配らなければらなないのは襲撃のタイミングと艦隊の位置といえよう。正直、数はそんなに必要ない

 数が必要になるのはレギオネル・カノーネぐらいだが、これは破滅ミサイルで代用可能な面があるのではないだろうか。また、カラクルムの建造が可能になる以前に、惑星を破壊するという選択肢があったのか……なかったなら急に大量の艦艇を消費して惑星破壊という発想はないだろう。

 色々話がきっちり収まらない

 

 

 地球の場合、支配領域が太陽系圏内にとどまっている事に加え、ガミラスと同盟を組んでいることもあって本来は巨大艦隊を建設する必要性はゼロ支配域は小さく艦隊の集中運用が可能で、しかもガミラス艦隊の支援も期待できるからだ

 同盟を組むこと自体に疑問を呈したファンもいるだろうが、戦争をした間柄であるから最低でも和平は結ぶし、大抵の場合はこれが割に友好的な内容の条約に発展し得る。これ、地球の歴史上では結構ある事例。特に、ガミラスは地球のおかげでアベルト・デスラーの支配から脱却出来たのだから、地球にもうまみのある条約の内容になることは間違いない。

 となると、巨大艦隊の必要性は敵がガトランティスだから、という一点突破になる。しかし、これにはガトランティスが危険な存在であることを出来るだけ早く地球が気づかなければならないが――地球はいまいち学習していなかった。

 さらに言えば、先に述べたようにガトランティスは合理的常識的に考えると巨大艦隊を用意する必要性が実は希薄。これらを考え合わせると……どうなんでしょうかね

 

 

 確かに巨大艦隊同士が戦うのは演出上、派手で効果が高いだろうめっさエキサイティング

 が、数が少なくとも演出的効果の高いシーンを作り上げた例はあるだろう。そもそも、さらばやヤマト2やヤマトⅢの冒頭であるとかディンギル戦役は3桁未満艦隊同士の戦闘として非常にエキサイティングだっただろう。ヤマトⅢはテキトー感があったのは否めないが

 実写でいえば、エンドアの戦い。ベイダー卿率いる旗艦〈エグゼキューター〉以下12隻の“死の小艦隊”とアクバー提督率いる旗艦〈ホーム・ワン〉以下十数隻の反乱軍艦隊のたっぷりとした戦闘は知らない人はいないだろう。また、別作品だがウルフ359の戦いではボーグ・キューブを迎撃すべく惑星連邦及びクリンゴンは40隻を結集させた。

 合理性の無い巨大艦隊建設を行い、これを対決させるというのは……まずもって、安直な演出といわざるを得ないまあ、戦争ものを良く書く割に、脚本にいっちょかみする割に戦闘描写がなおざりな福井大先生の事だから大目に見ざるを得ないのか

 

 

 小規模艦隊の妥当性

 翻って小規模である事に本当に合理性があるのか、今一度考えてみなければフェアではない。

 

 小規模艦隊の合理性は単純に大きく性格の違う複数艦種を組み合わせているから、と説明出来るだろう

 大きく性格が異なるからこそ、保守点検は艦種ごとに必要作業や絶対に能力を回復しなければならない損傷個所も限定可能。弱点も大抵は設計段階でわかり切っているためこ、あとは運用側が頭を絞ってカバーすればいいだけ。まんべんなくそこそこ程度の能力しかない万能艦より、能力を集中的に高めた戦闘艦の方が一点突破的に強力な能力を発揮しえる。

 確かに、雷撃専門、砲撃専門、狙撃専門、航空戦力。攻撃タイミングや組み合わせには少々気を遣わねばならない。頭をひねらなければ、戦う事が出来ない反面――しかし、一つの作戦や兵器の優位性が崩れたとしても別の策を以て挽回可能。複数艦種を組み合わせれば、それだけの手数を担保可能となる。

 また、少数で多数の敵を釘付けに出来れば、その時点で巨大艦隊を用意した側の負けコスパがあまりに悪い。そして、充実した小規模艦隊ならば大規模艦隊にも頭を使えば大打撃を与えられるのだから、いつでも攻勢に出られる。

 

 要は、巨大艦隊を用意するのはいかにも勝利の近道に見えるが、実はそんなことはない。少数でも充実した艦隊を用意できれば、その方が戦い方が豊富になり、コスパも良く戦えるのだ

 

 単なる力押しであれば、単一艦種のみで艦隊を構成する方が合理性が出てくる。しかし、味方が劣勢であることが明白ならば、当然頭を使って戦う。このような頭を使って戦う相手に巨大艦隊は、むしろリスクになり得る。十分かつ多彩な戦力であれば、少数でも十分戦闘のイニシアチブを握れるだろう。

 の合理性をリメイクでは捨ててしまった感がある

 "ヤマトⅢの親戚”である2199の場合は広大な宇宙空間を征服する軍事大国ガミラスという大前提があって初めて1万を超える戦力を示唆した、その点では必ずしも責める必要のある改定ではない。これだって苦情を入れようと思えば入れられるが、今回は自重。

 他方、2202の場合は更に桁が一つ二つ違う。これはやりすぎだ。別に惑星を破壊する手段があるのに250万隻をすり潰して惑星を破壊しようとしたり、演出上は効果的かもしれないが深く考えた場合はご都合主義というか、無駄という批判をかわせるだけの合理性が――あると思うのは2202製作陣とコアな2202ファンだけなのではないだろうか。

 2202は演出の為に、演出の根幹たる前提たる合理性をかなぐり捨ててしまったのではないだろうか

 

 

 艦というものの捉え方の差

 実は、2202においては艦は登場してはいないのではないのだろうかひょっとすると2202において軍艦は軍艦ではなく、航空機や戦闘車両の認識なのでは――であるならば、あれだけの多数を揃える必要性を当たり前のように認識しても当然かもしれない。反対に、そうでなければ猛烈な数を用意する必要を認識しないのではないだろうか。

 偉大なる副監督は宇宙戦艦と艦載機の関係性について大いに悩んだとか、どっかのインタビューでのたまっておられた。

 

 もう、この時点でヤマト旧作とは考え方に修正の出来ないほどの決定的な違いが生まれているのではないだろうか。相容れることが出来るはずのないほどの違いである

 旧作において艦隊はそのものずばり、両世界大戦時の各国海軍のそれと同じ。艦隊運動や戦術はある程度、三次元的な動向はあるがそうはいっても艦隊戦のベースは完全に通常の海戦と同じ。艦載機群が艦隊に先立ち前進し敵陣を攻撃、その効果如何によって艦隊も前進してこれに突入、戦果を拡大する。艦載機群を高速艦に読み替えてもらっても構わない。

 タイタン前面、中間補給基地攻撃、対ディンギル冥王星海戦などは現実の海戦と同じベースラインに則った戦闘であった。若干考えなければらないのは、コスモタイガーⅡの扱いであり、あの攻撃力の高さと再襲撃性の高さを考えると、艦載機と水雷艇の中間な存在といっていいかもしれない。となると、ラジェンドラ号護衛戦も割かし現実にある海戦のラインに落とし込めるだろう。

 

 航空機は艦艇に比べて長時間の活動が出来ない。つまり、制海権とは異なり制空権は事実上確保不可能であり航空優位の程度に収まる。戦術も最小単位は2機程度とはいえ、出来るだけ多数を同時に投入するのが当たり前だし効果が高い。陣形は空の上ではそこまで重要ではない。

 運用面に置いて割合に航空戦力に近い襲撃艇の類に関して言えば、平面か三次元的挙動かの違い程度だし、その面においては機と同様といえる。潜水艦も一部戦闘に関しては同様で、受動的な戦術に置いては陣形というより縄張り形成によって敵を襲撃する。

 が、中型艦や大型艦、或いは艦隊という単位になった場合にその運用や戦術はまるっきりお話が違う。陣形は敵との戦闘の効率性に大きく影響を与えるし、如実に生存率に関わってくる。これは陸上における会戦のそれとも違う――特に航空戦力の登場以降は要塞同士の戦闘の様相を呈しているだろう。

 これは先に述べた小規模艦隊の合理性の話と同じラインの話であり、複数艦種を組み合わせるからこそ攻撃力が高まりかつ、艦隊規模が抑制できる

 

 近代以前のガレーやガレオンあるいは戦列艦時代と装甲艦時代の戦闘では参加隻数が決戦を除き平気で一桁違ってくる。2202と同様の巨大艦隊といえるだろう。しかし、これは艦の性格が近代以前では概ね画一化されていたというのがかなり大きい。単純な数の勝負、力の押し合いである。

 これに対し、装甲艦時代以降は艦の性格をかなり重視した戦闘へと姿を変えた。同時に、艦隊を構成する戦闘艦の数も減っていった。一隻一隻の建造費が高くなったことに加え、投入される技術の如何によって艦の性格が大きく異なる=事実上異なった艦種として完成し得た事が原因といえよう。軍艦は更なる技術の進歩によって多様化・細分化されたために、かつてのような力や数でどうにかなる時代は完全に終焉を見た。

 技術の発展が遅滞している場合に置いては、彼我の艦船の能力が拮抗している場合は、確かに数の勝負が合理的であろう。しかし、その段階を超えた艦隊であれば、これは小規模の方がやはり合理的といえるだろう。

 

 旧作やギリギリ2199まではこの肝を抑えていたといえる。だから描写に取っ散らかった面があっても、何とか合理的説明が付けられる。艦隊戦の枠組みであればこそ、説明がついた。

 反対に2202に関しては、艦隊戦という枠組みにおいては全く合理的説明の不可能な展開が頻出してしまっている。無意味な巨大艦隊……製作陣が艦隊を艦隊では無く、飛行編隊の類と考えていた、とすればすんなり話が通る――それにしても航空戦としても合理性はないし、描き方としてヤマトをちゃんとわかった人間が組み立てたストーリーや描写とは思えない

 

 

 

 正直2199も星巡る方舟で見たように戦車映画な感はぬぐえない。が、機甲化時代を経た陸戦も一部においては艦隊戦のような側面もあるにはある。これは何に軸足を置いて2199を評価するかの話であり、戦車映画になったからといってヤマトテイストは薄れたが一方でストーリーの合理性はそれほど毀損されていないそれを考えれば、私のような徹底的批判をするのは過剰反応といえるだろう。某総監督の潜宙艦ディスりやガトランティスに対する侮辱が原因故、矛を収める気はないが。

 

 他方で、2202は監督、副監督、脚本家の3者とも艦隊戦より肉弾戦やドックファイトの力の強いガンダム系のクリエイターであることを鑑みると、どうにも艦隊戦と艦載機戦の違いを理解できないまま制作に突入したのではないのか。という疑念がぬぐえない。

 理解しないまま制作に突入、続行したから艦隊戦として非常に味気ないものになり、合理的描写もあまりない。他方で艦隊戦の要素が残っているため、航空戦としても取っ散らかってしまった。結果、残ったのはやたらに数の多い艦隊。

 自らに対する批判を異常なものとして排斥する程、SFクリエイターとして物凄いプライドとかを持っておられる方々であらせられる以上、この推測がガチであったら非常に呆れる――が、やたらに艦隊が大きくなった流れは理解はできるし、仕方ない面もあったかもしれない。

 全く肯定的に捉えることはできないし、どこかの段階で気が付いて欲しかったが

 

 

 2202は旧作と2199の全てと色々な齟齬であるとか、やり取りの不幸なぶつかり合いが発生していた。2202のかなり大きな特徴である巨大艦隊が、そもそも齟齬から生まれていたものであるとしたならば、これは――主張がぶつかり合うのも仕方がなかった。ある意味必然だったといえるだろう。

 

 製作陣に誰もミリタリーマニアいなかったんかい?

 

 

 仮に私が同じように万単位の艦隊を設定するならば、多分その艦隊は銀河全域を支配する巨大国家を設定するし、一隻一隻の能力は割と低めに設定する。

 他方で地球の兵器は威力をより拡大することでその撃墜率を挙げて侵攻側の敵艦隊に巨大であることを強要し、同時に味方艦隊が比較的少数で戦力として成立する理由も同時に担保するだろう。

 お前ならどうするんだとか言われる前に先に言ってみた。