旧作ヤマト考察協会

第一作から完結編まで、旧作宇宙戦艦ヤマトを出来る範囲で現実的に考察するブログです。

ストーリー考察Ⅶ ――指揮系統の混乱と卑怯・卑劣な異次元の罠――

 

 

 第14話――安直なヒューマニズムバース星を見事に滅ぼした宇宙戦艦ヤマト。彼らの背後にあの卑怯なキザ野郎が迫る。

 

 

 

 古代君が不意に土門に艦橋勤務を命じ、戦闘を監督させた時から意味不明かつ非合理的なストーリー展開が始まるのであるが――

 

 その前に、戦闘の内容をざっくりと振り返る。戦闘考察じゃないけど。

 考えてみれば、あのとっぽい副官の方がまともな人間。他方でフラーケンだっけ? あの艇長、自分の部下を嬉々として犠牲にする人でなし。彼のあの指示では伏兵の用をなさない、囮としても戦死を前提とした戦い方。他に幾らでも手段があるのに、わざと戦死を前提とした戦い方をするのは軍司令官として落第どころか人間として失格

 

 伏兵は戦略的に価値のある事でありかつ、生存の可能性があるからこそ意味がある。囮だって、有る程度の生存性を確保したうえでの決行や、他に手段がないからこそ決行する。だからこそ部隊として囮にせよ、伏兵にせよ、能力が発揮できる。

 ところがあのガルマンスピッツだか何だか知らんが髭野郎、全く生存の見込みがない配置にしてわざとヤマトに攻撃させた。2号艦をヤマトの前へ、前のエピソードで喪失したはずの3号艦をヤマト後方に配置して、狙い撃ちさせたのだ。その隙を狙って亜空間魚雷をぶっ放す戦術――包囲して雷撃、直後に撤退し再び補足してから雷撃を行う。

 ヤマト側は潜航艇の捕捉に苦労し、また彼我の速力にさほどの差はない。つまり、そもそも論として、わざわざ包囲殲滅を狙う必要なんてない。普通に同航戦用の部隊と、待ち伏せして奇襲する部隊に分けて戦う方がよっぽど理に適っているのではないだろうか

 なんなら、包囲してしまえば的が小さい分、フレンドリーファイアの危険が高まる。であるのにもかかわらず、髭キザは包囲しての雷撃にこだわったのである。

 ひょっとして……コスモダート・ナスカ以来の愚将なんじゃないのかコイツ。ナスカは臆病な上に高飛車という作戦や采配の質を低下させる個人的要因があり、着眼点は良かったものの自分自身に振り回された感があった。だが――フラーケンは違う。ただ単に作戦立案能力が最低レベルで、ヤマトと自艦隊に無駄に損害を与えて楽しむサイコパス

 

 この戦闘で喪失した戦力は3隻、11隻ないし10隻中の損害であるから約3割の損耗率である。しかもヤマトが演出上もたらされた余計な設定の余波による指揮系統の混乱から、ド下手な戦闘を行った上でのことであるから、ヤマト2のようなまともなプロの仕事をヤマトがしていれば次元潜航艇は全滅していてしかるべき

 それで勝ったような面をしているから、どれだけ普段の損耗率が高いのかと気になるところ全体的に妥当な描写がない

 

 

 そして――やっぱりヤマト艦長は大けがするんだね

 コンソールが爆発して古代艦長、ケガとして表面にあるのは右腕だけだが、爆発の衝撃や感電だので重症に。そのおかげでヤマト艦内が浮足立って翌話で宇宙で最も愚かなハゲにとっ捕まってしまう。ちなみに、逆に有能なハゲはキーリング。

 

 浮足立った理由はひとえに指揮系統の混乱副長がどうやら同格という最悪な条件で二人もいるという、元から無理な設定のおかげで逆に混乱が妥当なものになるという不名誉な整合性

 島君は航海班であり、戦闘に対する造詣は深くはない。一方で真田さんは戦闘にも造詣が深いのだが、今は亜空間ソナーにかかり切り。戦闘に専属で差配できる人間が居ないぞ……。

 さらに、島君のミスによって事態はさらに混乱する。つまり、土門に戦闘を任せたままという事

 土門が戦闘の差配を出来ていたのはあくまで玄人の古代が居たからといって差し支えないだから古代が退場した段階で土門に代えて南部を登板、何なら波動砲でもぶっ放して次元潜航艇をビビらせてやるのが妥当なストーリー展開だったはず。にもかかわらず、わざわざ戦闘の差配が初めての人間にずっと、それもちょっと劣勢なのにも拘わらず戦闘を任せ続けた。確かにあのタイミングで土門を下げれば彼は傷ついただろう。しかし、100名からなるクルーの命には代えられない。なのに島君はクルーの命より荒廃の成長を取った……何という教育魂か。

 どうしてだろう、ここまで合理性の無い描写が完成させられるのか。

 結論から描き、展開を焦るから全くのご都合主義になり下がっている。

 

 

 まあ、ガイデルにとっ捕まったのは仕方がないアイツの要塞の機能が意味不明かつ非合理的なのが悪いのであり、島が問題行動をしたわけでもない。戦闘を差配する土門が今までの自分の活躍で浮足立っていた、太田が普段と違い役に立たなかった――等々色々アレな部分もある。そうではあるが、ガイデルの要塞の設計そのものの全くの合理性の無さに起因している。

 演出マターの展開。これはクルーがどんなにまともに雨後歌としても、ご都合主義で捻じ曲げられるのだから仕方がない

 

 

 

 

 と、冷静に徹底酷評している私だが、どっかでみた出渕監督のインタビュー(我らガトランティスの誇る潜宙艦に対し、不遜にもがっかりした旨を述べたもの)の裏返しのフラーケンdisも多分に含まれているため、非常にバイアスのかかった記事――というのは否めない。

 反省……。