旧作ヤマト考察協会

第一作から完結編まで、旧作宇宙戦艦ヤマトを出来る範囲で現実的に考察するブログです。

ヤマト世界における敬礼

 

 ヤマト世界における敬礼は複数存在し、当然文明ごとにその差は大きい。更に、ヤマト及び地球防衛軍においてもさらば並びにヤマト2の前後でその形式が異なる。

 個別に記事にすると物凄く短い記事を連投することになるので、この記事に一括で考察したいと思う。

 

 

 地球式敬礼(ヤマト式敬礼)

 ヤマトにおける敬礼は2種類。つまり右拳の親指側を左鎖骨ないし胸骨に当てるヤマト式敬礼と、普通の挙手の敬礼である。

 前者は文官の答礼に近く、また海上保安庁の潜水士が類似の敬礼をウェットスーツ着用時に行う。後者は当然よく見る軍隊の敬礼であり、ヨーロッパが発祥とされる。目を守る兜の鎧戸を挙げる仕草らしいが、他方で右手は大抵の人の利き腕であり、その腕に武器を持っていない事を示すという意味があるとも。なお、脱帽時には敬礼はしないのが普通。

 

 これらを考え合わせると……ヤマトクルーは全員帽子をかぶっていないため無帽状態での敬礼がヤマト式のあの敬礼で統一されたとするのが妥当だろう。よって帽子をかぶっている場合に置いては通常の挙手の敬礼を行うと。

 挙手の敬礼は国際標準として浸透しているがそれ以外は実は海兵隊のそれのように結構バラバラ。であるから、どこかの国のやり方に倣うのではなく、国連なりが独自に策定した。これにより、どこかの国に優越感やあるいは劣等感を抱かせないようにとした。とすれば、ヤマト式敬礼の新規策定という行動の合理性や妥当性は十分保てる。この手合いの感情のもつれは後が怖いからね。

 軍におけるお辞儀は基本脱帽状態で行う敬礼であり、無帽より脱帽にウェイトが置かれている感がある。そのため、無帽を前提とした、それでいて挙手の敬礼ではない手持無沙汰にならないちゃんとした敬礼としてヤマト式敬礼を採用したというのが――軍服をかっちょいいデザインにするというのと似たような行動原理によって策定されたとするのが一番おさまりがいいだろう。

 

 だとすれば、第一作でのクルー乗り込み前の沖田艦長の訓示シーンも、土方総司令のヤマト機動部隊出動命令も、山南艦長と長官の通信もこれで十分説明がつく。ずっと、帽子をかぶった指揮官は挙手の敬礼だし、受ける側は無帽でヤマト式敬礼。それでも敬礼と答礼の区別がつきにくいという問題は捨て置かれてしまうが、一応説明可能。

 残念ながらヤマトⅢの後半エピソードや完結編ではこれが徹底できなかった……。まあ、挙手の敬礼が最上位の敬礼という位置づけとすれば、思わず手が動いてしまったとして何とか説明がつかない事も無いが……。

 何だかねぇ。

 

 リメイク作において

 2199ではこのヤマト式敬礼がなくなったが、帽子を脱いでいる状態での挙手の敬礼は正直描写として疑問だし妥当性を欠く。一応、軍なんだからさ。無帽状態のままの挙手の敬礼だと、本当は凄く素人っぽいというか妥当性が低い

 もう一つ言えば、ヤマト式敬礼が子供っぽいという人がいるが――ひとまず、海猿の皆さんに土下座しようか

 反対に、2202で急に復活した上に帽子をかぶっていてもヤマト式敬礼を平気でやってしまうのも、これもまたかなり疑問。帽子をかぶっているなら普通に挙手の敬礼で十分だし、指揮官クラスの高官ならばなおの事もっとベーシックな敬礼をして当然。敬礼の格というものもあるし、使用場面というものもある。これを混用した描写というのはまずいだろう挙句、そんなシーンをポスターにしちゃって……。一人前の軍人がそんな単純かつ基本的な事すらわかっていないというのを見せて、平気でいるのだから……軍事モノの作品としてとして話にならない

 色々独自色を出そうと頑張ったのは分かるが、正直ご都合主義というべきか或いは演出マターな描写にとどまっている。

 

 

 ガミラス式敬礼

 ガミラス帝国やガルマン・ガミラス帝国において行われる形式で、右手で行われる。細かく描写すれば右肘を水平に張り、肘から先を上方に指まできれいに伸ばした形となる。ナチス式っぽいといえばナチス式っぽいが、厳密には結構異なる。どちらかといえば――選手宣誓と挙手の敬礼のハイブリッド。

 跪く場合、左ひざを立てて右拳を左鎖骨に当て、左手を自然に降ろすスタイルーーかもしれないが、これはどうもガトランティスと見た方がいい。あるいは、たまたま同一のスタイルであったか。

 地球の挙手の敬礼と同じく、武器を持っていない事=恭順の印というのが妥当な推測だろう。優雅というか、権威主義的な装飾的敬礼でもあるし、このスタイルを採用して不思議はない。

 

 

 ガトランティス式敬礼

 ゾグー1世が自信の親衛隊に採用した敬礼、つまりゾグー式敬礼。指をそろえた右手を胸の前に水平に当てて手のひらを下に、肘を張ったスタイル。インドやメキシコ、或いはアルゼンチンでも同様の敬礼が見られた。

 さらばでのみバルゼーが跪く際の、左ひざを立てて右拳を左鎖骨に当て、左手を自然に降ろすスタイルを披露。ガトランティス艦艇は艦内がかなり広いし、このような装飾じみた敬礼でも問題はないだろう。また、大帝への忠誠という面を見ればガトランティス権威主義な体制であることは言うに及ばず、ゆえにこの権威主義的な敬礼も妥当といえばだろうだろう

 

 なお、ゾグー1世はアルバニア公国をソ連の援助で軍事的に攻略、共和国へと変えた大統領で後に憲法を改正して国王に即位したオスマン帝国の総督家の出身のややこしい人。結局ファシズムイタリアの攻撃を受けて亡命、色々あって帰れると思ったのもつかの間、ソ連によって祖国はアルバニア人民共和国へと姿を変え、帰れなくなってしまった。

 哀れと自業自得の狭間な感じの人。

 

 

 暗黒星団帝国式敬礼

 多分、挙手の敬礼の類はナシ全部「気をつけ」の姿勢、強いて言えば注目の敬礼

 説明を付けるならば、暗黒星団帝国の人間は大体サイボーグ――今風に言えばトランスヒューマニストであり、別に思わず声を出した場面以外では言葉を交わす必要がないという可能性が大きい。だって脳みそ同士で通信できるはずだから。少なくとも地球のトランスヒューマニストはその段階まで望んでいる。であれば、本来人間はしゃべる必要はない

 ボディランゲージは言葉を直接発するのと同等の発信力を発揮する一種の言語である。

 仮に脳同士でに直接通信できるならば、これも必要はない。ならば、ボディランゲージの範疇ともいえる敬礼が衰退しても不思議はない。ただ、劇中でそのような事はなかったため言語そのものや肉体の機能を全て無駄として切り捨てる様な考え方には向かわなかったと説明できる。

 これらの前提を踏まえれば、敬礼が注目の敬礼オンリーになってしまったとしてもそれは、無駄を省いたうえでの合理的選択の結果と説明できるだろう。一方で、人間らしさというモノをまるっきり省くのではなくある程度残すという、底流に存在する生身へのあこがれが拭い去り切れていないとも評せる。

 それが故に、ボディを求めて地球へ……。

 

 他方、いくら脳みそ同士で通信できても、それが軍艦の装甲板に囲まれた空間や宇宙を飛び越えての遠距離通信は難しいだろう。

 これが妥当な推測であれば、護衛艦隊司令とデーダー、デーダーとメルダーズ、メルダーズとグレートエンペラーが脳みそでなく機器を用いて通信したのも当然。前に述べた通り、人間だれしも思わず声が出る場面があるだろう――そういったタイミング、特に戦闘中はべらべらしゃべっても、人間として不思議はないだろう。

 

 

 ボラー連邦式敬礼

 実はよくわからんバース星に関してはラム艦長が魅せたようにガミラスとほぼ同形式の敬礼を行うし、同惑星に置いてはベムラーゼ首相も観閲式にて似たような答礼を行っていた。これがバース星のみの流儀であっても不思議はないし、ボラー連邦の本星には頭を下げる系の敬礼以外に形式がないとしてもまた不思議はない。

 ボラー連邦では相手に対して手を挙げるという動作自体が共通言語を持つ人間同士では敵対行為であるとされるなら、挙手の敬礼がないのは至極当然の成り行き。

 仮に手を挙げるのがボラー連邦流の敬礼であったとしても当然のことながら、非常に権威主義的な装飾的敬礼であるし、採用して不思議はない。ガミラスとはたまたま被ったという事だろう。

 結果、描写が少なくよくわからない

 

 

 ディンギル帝国

 かなり独特のスタイルで、拳を固めた右腕を前に出してあばらの下端に水平に、拳を固めた左腕は同様に水平に伸ばすが背中側に回す形式。基本教練の中の休めの姿勢に近い

 右腕を見せて武器がないと恭順の意を示す一方で、左腕は何をしているかは敬礼を受けている側にはわからないし、答礼してもらっている側もわからない。

 つまるところ、左腕にコスモガンでも隠し持っていきなり銃撃もできるというわけである。反対に、仮に襲撃が刃物であれば右腕を犠牲にしても胴体を守ることが出来る。と、物凄く好戦的な説明が可能な敬礼全然敬っていないし、礼を尽くしていない

 自分の幸せの為なら他人を踏みつけにしてもいいという考え方が中心的なディンギル人らしい、敬礼といえるだろう

 

 

 

 このように、敬礼の方法にはこのように各勢力の特質が現れている。と、説明可能。ヴィジュアル重視での採用であれば、ある意味その勢力のイメージに合わせて作り上げた敬礼であるから、相応しくて当然なのだろう。

 こじつけっちゃ、こじ付けだけど。