旧作ヤマト考察協会

第一作から完結編まで、旧作宇宙戦艦ヤマトを出来る範囲で現実的に考察するブログです。

ストーリー考察Ⅺ・ズォーダー幕僚部のフェードアウト(さらば)



 なぜ、サーベラーをはじめとした幕僚部は超巨大戦艦では顔を見せなかったのか。ヤマト2では叱責を食らい、三振法でアウトと明確に乗り込みを拒否され、恐らく都市帝国の崩壊とともにその命脈は立たれたであろう。


 だが、さらばでは全く明確な描写がない。ただいなかっただけ――ではなぜいなかったのか、考察してみたい。

 


 描写から探る

 回転ミサイルの発射命令の時点でサーベラーらはすでに画面からフェードアウトしている。また、以降は都市帝国の内部も超巨大戦艦の内部も描写はない。全く、描写が考察の材料にならない――緊急事態だ。

 

 しかし、これを逆手に合理的な理由を付ける事も不可能ではない。

 

 ガス体喪失に伴い、都市帝国は防衛戦闘に移行した。これに伴い、各所に戦闘配置が命令された事は想像に難くない。
 回転リングのそれぞれに砲の保守担当が居ても不思議ではないし、全体を統括する責任者が居ても不思議はない。砲とリング運航と防御スクリーンの展開担当が全て異なるとしても、あの巨大さから言えばあっても問題ないだろう。
 お椀状の都市帝国下部の砲座群の指揮もあの規模ならいくつかの戦区に分割して指揮をされていても不思議はない。都市帝国のビル街の保守担当者もいるだろう。動力炉の保守担当も、超巨大戦艦の保守担当もいるだろう。
 場合によっては後方においてくる形になった後衛艦隊や周囲に散った戦闘艦隊に対し、集結命令を出していても構わないだろう

 

 まさかこれら全てを大帝が直率するはずがない

 命令の形式としてはあり得ても、実際的に命令を下すという合理性は少ない。


 たとえて言うならホワイトハウスのツリー点灯式。アレはまさか大統領の手元のスイッチで点灯するわけでは無い。あくまであのスイッチは点灯のタイミングを指示するもので、事前に積み重ねられた点検と事前の調整があって初めて点灯できる。

 

 

 高官の派遣、その意義
 都市帝国の防衛戦闘に、不測の事態が発生する可能性があるだろう。先んじて対策を打って当然。
 その場合、現場指揮官に全権が渡っていないとなればどうやっても対処できないヤバい事態が起きた時に全く対応できない。限定的な権限しか持たない人間に、権限を越える事態の対処などできやしないし、指揮系統の保持からすればしてはいけない。


 そこへ最高幹部クラスの人間を派遣して現場指揮官の能力を権限的にサポートすることで全ての事態に対処できるようにする。

 そのためにズォーダー幕僚部が全員散って当該部署に赴いたとあれば、中央作戦室に高官が誰もいないのも無理からぬこと。むしろ都市帝国の防衛戦闘が順調に進んでいる証拠ともいえる

 大帝は主権者として安全な場所へ移動し、代わりにサーベラーが総参謀長として実際的な戦闘指揮を担う。あの感じからすれば、サーベラーがどんなに声を張り上げても結局、各部署へ赴いた高官がガン無視するかもしれないが、形式としては成り立つ。

 

 

 災害時に迅速に県職員を派遣せず受け身の災害対策を敢行して全国民的な怒りを買った某知事の例は記憶に新しい。指揮官を変えるのに普通は躊躇するこのタイミングで内閣改造を行った某首相も記憶に新しいし、被害が明らかになる過程で三々五々に大臣が視察に現れるという現地にとっては迷惑な展開も発生。


 あらかじめ、職員を派遣しておけばよかった。
 全権委任に近い形の大臣を派遣し、それを中心に対処すればよかった。


 考えようによっては、災害への対処対策は内容の差こそあれ、指揮系統や部隊・組織運用の面では戦争と全く同じ。目に見える形の敵の居ない分、災害対処の方がむしろハードルが上がるという見方もできよう。
 
 


 これらと同じように都市帝国でも現場指揮の効率と能力の最大化を図るために幹部を派遣しても何ら不思議はない。

 派遣しているからこそ、ズォーダー幕僚部の全員が画面からフェードアウトしても何ら不思議はないのである

 

 基本的にガトランティスは組織立った勢力である。しかもあまり縦割りの行政を感じさせない、適宜横のつながりを駆使する傾向が強い。 他方で、下が上の権限を凌駕することに対しては極めて否定的。この辺りも結構遊牧国家的。

 緊急事態においては一々下が上に伺いを立てている暇はない。

 だから先んじて幕僚を派遣する。これで指揮系統の正常性は確実に保たれる。だから、画面から消えてしまった。

 

 これは結構理に適った説明ではないだろうか自画自賛)。