旧作ヤマト考察協会

第一作から完結編まで、旧作宇宙戦艦ヤマトを出来る範囲で現実的に考察するブログです。

ガトランティス戦役 ストーリー展開の総括

 

 

 これまで様々にさらばやヤマト2を考察してきた。ストーリーであるとか、戦闘、或いはいくつかの事象についてを取り上げ、時に簡単に結末をつけ或いは、時に無理筋に説明を付けて来た。

 一通りの考察を終えたところで全体を俯瞰する形で、今までの考察を踏まえた総括を行いたいと思う。

 

 

 

 国家像の形成
 さらばにおいて、ガトランティス国家としての形が判然としない、いわばイデオロギーの結晶として描かれていた。無論、約二時間ほどの時間――正味では1時間も取れないだろう、その中で国家として確立したイメージを完成するのは非常に困難というか不可能に近い。
 これは仕方がないといえば仕方がないし、超えられない壁と言っても構わないだろう。半面、征服を善とするイデオロギーの結晶という不気味で不確かな存在をヤマトの最期の敵とする、単なるウォーシミュレーション以上のメッセージ性を持たせた作品たらしめたともいえるだろう。同時にガトランティスという唯一無二の存在を作り上げることにも成功した。

 

 国家としての体を成していないと言えるさらばにおけるガトランティスは完全に大帝のワンマン体制であり、それをサーベラーが補佐する形であった。
 悪い言い方をすれば猛烈にステレオタイプな悪の結社。これは当時の価値観というか常識みたいなものであり、現在の価値や成熟した様々な案を考え尽くしたアニメ界においては全く通用しない危険が非常に高い。

 だが、この点に関しては今更論じても手遅れというか、タイムマシンがないと話しても大した意味はない。私はタイムマシンを持っていないし、2202のような複雑すぎるものをぶっ込んでも観客席がシラケるのは目に見えている。


 ストーリーの展開、行動の方向性
 興味深い事にガトランティス大して油断していない。この手合いの敵にありがちな圧倒的な力を誇る割に、油断で足を掬われるというか――なんなら足元を掬われるクラスの大惨事をやらかして敗北というパターンもなくはない。後のベムラーゼ首相とかがいい例だろう。


 だが、ガトランティス少なくとも勢力としては油断をしていない。確かにゴーランドやバルゼーは個人として油断して敗北したし、サーベラーも調子に乗った発言をしていた。大帝だって希望的観測に類似した事を述べた事もある。
 しかし、普通は、ヤマト一隻に対してどうしてそんなに警戒をする必要が有るのだろうかと疑問に思って当然だろう。単独でガミラス領域に潜入した、特殊な戦闘艦艇だからこそ脅威だった。そんな特殊な戦闘艦艇を本星に招き入れるという大博打、これにガミラスは負けた。


 通常の戦い方をすれば――つまり組織的にヤマトの侵攻を阻止し、あるいはヤマトの攻勢に先んじて地球を落とせば自ずとヤマトを敗北に追い込める。

 この観点から言えば、ガトランティスの作戦展開はごく普通。何なら余計な事をしないように動いたという意味で、慎重だった。あのサーベラーでさえ、テキトーとはいえヤマト接近に対してゴーランド艦隊に警告を発したし、ヤマトがいよいよまぐれで勝った訳では無いと判明したタイミングでデスラー総統に艦隊を供出してこれを叩かせた。
 その後の放置プレイは別に不思議ではないだろう。

 デスラー総統が一命に代えてヤマトを徹底的に叩いた。仮にヤマトが反撃を試みたとしても、すでにバルゼー艦隊の準備は整っており、その戦力からして各個撃破であれば確実に地球艦隊を粉砕できた。決戦であってもまさか負けるとはガトランティス首脳部は誰も思っていなかった。だって、拡散波動砲なんてもの知らなかったのだから

 バルゼー艦隊太陽系圏内に突入できればその時点でほとんど勝利に手がかかっていたといえた。つまり、計画では地球を落とす寸前だった。この段階でわざわざヤマトに対して攻撃を仕掛ける合理的理由はないだろう。


 踏みつぶせと白色彗星を前進させたことについても、高々一隻の戦艦の波動砲などたかが知れており、警戒には値しないと判断しても不思議はない。30以上の大型波動砲と80近くの中型波動砲の一斉射撃に耐えたのだから、たとえ弱点に攻撃を受けたとしても大して問題はなかっただろう。

 実際問題なかった。


 以降の戦闘に関しては総力戦。

 泥仕合に近く、正直言って作画と音楽の効果で名シーンになっているような感がある(ここら辺、私の方が割合辛辣な見方)無論、我々日本人に響くカタストロフィをヤマトクルーが体現している点も、合理性であるとかの話を度返しして訴えるものがあるだろう。それだけのパワーのある展開だったといえよう
 ただ、ガトランティス側は長らくこの類の戦闘を行っていなかったとみて不思議はない。であるならば多少もたついたり、残念な戦いをしても不思議はないだろう。特に、さらばにおけるガトランティスが組織として非常に高度でシステマティックかと言えば、普通に十分な組織でシステマティックという程度だろう。何せ勢力維持のために普通は行う、ガミラスでも行っていた植民地の経営を彼らはせずに収奪のみをしていたのだ。もっと言えば、地球人が考える類のシステマティックさとは様相が違うと考えて不思議はない

 仮に非常に高度な組織化がなされていたとしても、どこぞの国の様に一年の保存期間を一年未満と内規を変更してさっさと文書を捨てて堂々としてられる内閣もある。しかも、ルールを徹底した故のお花見の参加者名簿破棄なのだから、確かに非難のロジックが道義の問題に終始してしまう。つまり、必ずしも高度な組織化やルールの徹底が妥当な運用と言えるほどの内容とは限らない。そういう事例は探せばいくらでもあるという事。

 

 超巨大戦艦に関しても、人工天体を構築するような超科学を有した勢力があの程度で敗北というよりかは妥当な展開だろう。それに、同種のアニメが少ない時代にあれを劇場のスクリーンで展開されれば、多分泣きそうになる観客もいたのではないだろうか。

 だが、二度も三度も視聴してそれでも同じような衝撃を得られるとかと言えば正直否。だんだんとシラケてきてしまう一度目の視聴に全てを賭けたところのある演出であり、ここから古代の決断とテレサの導き、そしてジュリーの歌へと続く――この一連がさらば宇宙戦艦ヤマトを伝説へと、観客の心をどうしようもなく揺さぶったのである。我が身内も当時泣いたらしい。


 戦闘に関しては幾らでも合理的な説明は付けられる。
 それはこのブログで散々述べてきたことであるし、今更、何も考えず頭ごなしに固定概念で、外見でご都合主義などと述べるような時代遅れな人はもういないだろう。正直、完璧に全ての戦闘で合理的な説明を出来たとは思っていないし、妥当性を説明できても――ちくわ惑星に不用心に入り込んだ時の様に「お前それはないだろう」な行動が原因なパターンもあり、全部擁護できるわけでは無い
 ただ、一つ明確にしておきたいのは概ねの場合において合理性や妥当性は十分担保できる。

 

 

 でもやっぱり、二時間程度じゃ短いよ。

 

 しかし、さらば宇宙戦艦ヤマトは約2時間という枠の中では非常に手の込んだ、そして整合性に気を配った作品であると言えるのではないだろうか。破綻しないようにと気を配ったというよりも演出として一つ一つをたどって行った結果が、概ね妥当で合理性のあるストーリー展開であったと言える。
 そこへ盛り上げる為、ヤマトという作品上欠かせない要素である、一種の不確定要素――例えば戦闘や恋愛を投入した。これら不確定要素を盛り込む中で、微妙な齟齬が生じる。恋愛部分ならば鬱陶しいで切り捨てられるし、戦闘ならば「こういうケースもありうる」と説明可能であるが、これが前後も含めると少々難しくなる。この難しい点を当時の熱狂の中であれば余裕で乗り切ることが可能だった。


 ただ、現代の目の肥えた、或いは当時をうっかり美化してしまって見返してみたら大したことないと思ってしまった人にとっては……これは高いハードルであるといえるだろう。何せ、雪と古代の喧嘩のような、無きゃ無いでいいシーンをわざわざぶっ込んで、ぱっと見は雑な展開の戦闘シーンを見せられたら当然評価は落ちるだろう。

 

 何より、この記事を書いている私自身が、もっさりとして鬱陶しいシーンだと思っている。旧作否定派の誰よりこの手合いのシーンが嫌いという自信があるしかし、それを以てこの作品が駄作というのは少々お門違いではないだろうか
 当時という枠組みの中では十分以上に力の注がれた傑作であり、リスペクトの元に行われるという大前提を忘れてはならないが、リメイクする上で非常に優良な足場を提供してくれているのではないだろうか。少なくとも、各種SF作品に拡散波動砲アンドロメダは影響を与えたのは事実。それを以ても価値は少しも損なわれることはないと断言できる。そしてまた、ヤマトという作品の最期を飾るにはふさわしい、他にはあり得ない作品であった。

 

 

 ヤマト2はさらば以上に毀誉褒貶の激しい作品である。
 実際、作画という面では明らかにあらが目立つ

 ストーリー展開も非常に――テキトーとまではいわないが、描写が足りない何とも雑な面が多い。特にラスト2話はひどい。ウォーシミュレーションの傾向が非常に強いが、その割に冒険譚な側面が捨てきれておらず、足を引っ張ってしまっている。

 全体として戦史のような、記録映画のような雰囲気を出せればよかったのだろうが、地球・ガトランティスガミラスという3勢力それぞれを丁寧に描くのに25話は適切かと言えば少々短い。ところが、一個の戦争を描くという意味では――これ以上長いと冗長な感が否めなくなってしまっただろう、まして冒険譚がそこに入り込むとだらだら感が半端ない。

 結果、複数冊にわたる小説を前提とした……銀英伝的に描くのがコンテンツの長寿化を狙った展開として妥当だっただろう

 今更言っても遅いし、当時そんなメディア展開をして売れるとも思えない。今だってそんなメディア展開してもトントン以上の収支が出るとは思えないが。

 

 

 ヤマト2における国家形成

 ヤマト2におけるガトランティス国家としての側面を非常に強く打ち出してきた。高度に組織化された軍という明確な描写はなかったものの、有機的に動ける軍事ないし行政組織が存在しているとみて妥当だろう。

 イデオロギーの結晶としての側面も存置され、これは大帝というイデオロギーの擁護者を徹底して崇拝・下支えするという体制や、ガミラス勢力の排斥という形で表面化している。
 

 描写のご都合主義観増大
 残念というか、これほど普通の国家のような体制になってしまっては――ある意味当然、無能な高官の余計な一手が頻出し、これが痛手になってくる。批判的に見ればご都合主義なオウンゴールだし、過剰なリアリティともいえよう。

 具体的に言えばサーベラーだ。さらばとは違い、割と無能(正確には、帝国の大戦略は結構理解しており才女なのだが、自分の事になると途端に無能になる)な彼女は半分個人的な感情でデスラー総統を放逐してガミラスとの同盟関係を破棄してしまう。本当に余計な事をしてくれた。

 ゲーニッツも同じように、正直軍略の面においては問題ないのだが、自分自身の事になるとやはり無能を晒すし、先を見据えた動きというのが出来ない。無能ではないのだが、帝国を安心して任せられるほどの有能ではない。
 2度ほど繰り返したが、保身の為に帝国を危険にさらしている。


 アメリカも誰かさんとか誰かさんの政権において、議員がそれまでの方針を票欲しさに急速転換してみたり、自分の公約実現のために中東の平和をぶち壊したり、東アジアの安定をないがしろにしたりと残念な動きをしている。

 日本だって人の事は言えない。野党は、政権を取りに行くなら選挙制度改革を本気で持ち出さなきゃいけないのに、彼らは政権批判に終始する。与党だって議員という存在そのものの価値を問われる局面で民主よりマシとか他に審議すべき課題があるなどと逃げて――これは2021年以降の政治に期待する他ないのだが……。

 とまあ、重大な局面で重大な立場にいる人物が、自分の為にとんでもない事をしたり、何もわからず素でテキトーな事をしでかしてくれたりする人は古今東西少なくないという事が言いたかった

 


 にしても、ヤマト2のサーベラーとゲーニッツはひどい。あり得ない話では無いが、これをヤマトで見せられると――無理に無能を登場させたような形になってしまって印象が悪い。

 

 他方でヤマト側も、実際陸軍と海軍はどこの国でも多少確執があるものだが、わざわざあそこまで空間騎兵隊とヤマトクルーを対立させることはなかっただろう。一々ヤマトクルーを邪魔する空間騎兵隊は目障り以外の何物でもない。結局最後は心を通わせ地球の為に一致団結するのだが、非常に昭和的で今には通用しない。まあ、昭和の作品なのだから仕方がない。が、この点は残念ながら現代の日本人が作品を評価する上ではかつてプラスに働いたものが今はマイナスに働いてしまっている。


 他にもテレサ。さらばであればまだ、物理的に手を取り合う事が不可能であるし、ガトランティスが丸裸になった状態以外では彼女は恐らく一命を賭しても無駄だった。だから特攻が最後の最後になったと説明できる。
 しかし今回は少々違うまずもって、島さん島さんうるせぇ。テレザートをエネルギーに変えて白色彗星を猛攻するが、その理由が島さん。

 ある意味、前作のスターシャも守君に恋をしたから地球を救おうとコスモクリーナーを用意したと考えられるから、同じポジション。ただ、彼女にあった男でも惚れそうな昭和女の意地のようなかっこよさはテレサにはなくただひたすら鬱陶しいだけなのはいただけない


 今回、ヤマト艦内では二つの恋があった。一つは古代君と雪、もう一つは島さんとテレサ。しかも前者の方はいまだアナライザーと隊長が立候補してキャンセル待ちをしている状況。
 ヤマト艦内って――鬱陶しい……。ぶっちゃけてしまえば、どっちか一つでよかった。二つも盛り込んで、取っ散らかるより圧倒的にマシ。

 基本的にヤマト2は第一作のまずかった妙に冗長な側面がそのまま継承されてしまっていて、しかもストーリーとして大人向けでも無ければ子供だと飽きてしまいかねない中途半端な様相を呈した。

 

 
 他方で戦闘は史上最高峰との誉れ高い。
 ガトランティスも地球も戦略と戦術を用いて正面切って戦ったのだ、当然の成り行きである。ナスカやデスタールの様に残念なヤツもいたが、ゴーランドやバルゼーは非常な頭脳戦を敢行した。ザバイバルだって、決して無能を晒したわけでは無い。他方で地球側は土方総司令を中心として戦略を練り、土星圏に全てを賭ける背水の陣で臨んだ。
 この高揚感。
 空母による奇襲を試みたゲルンを、奇襲によって打ち倒すヤマト。

 互いに必殺兵器に頼り、結局の所それを切り捨てた方が勝利を得たタイタン前面域。

 見事というほかない
 また、都市帝国攻略も、デスラー総統から得た情報を元に総力を挙げた、文字通りヤマトにとっての最終決戦だった。最後の作戦だった。一部描写が雑な面もあったが、しかし戦いは戦略的に行われ、死力を尽くしたものであると、それが画面からにじみ出た。

 

 唯一、結局のところ超巨大戦艦という――劇場では脅威と映ったものがすでにネタバレしている、セルフ二番煎じになってしまった為衝撃が薄かった。大帝のブチ切れも相まって決して軽い雰囲気では無かったが、どうしてもさらばより一段劣る印象。破壊という意味や派手さという意味ではヤマト2の方が上回っているが、残念ながら絶望感はさらばに及ばない。

 おかげで安易、という評定になってしまうし――それを覆せるだけの材料を、さらばでさえ提供しがたかったのに、ヤマト2はその術も材料も一通り持ち合わせていなかった。

 

 

 ヤマト2の嘆き

 戦闘描写の幾らかのほころび、鬱陶しい人間模様、さらばの既視感。これらやヤマト2の作品的価値にとって大きな足かせとなったといえるだろう。

 要は、リンドン・ジョンソン大統領のような物だ。


 リンドン・ジョンソン大統領は副大統領としてジョン・F・ケネディを支えた。また、彼の政策をいくつも引き継いでベトナムにせよ対ソ戦略にせよその終末を描くことに成功した。

 しかしながら、政策はリベラルベースで現在も一定の評価を得る反面、財政的には割合にばらまき傾向。また、どうにも善い人とは言えない性格や、ケネディに比べて議会という対立軸=集票マシーンの建造に失敗する――という事は議会と良好な関係であるといえるのだが――など種々の問題から当時はあんまり評価は高くなかった。今だってたまさかに国の中枢が国民の権利拡大を義務と認識していた時期であり、容易に政策が成立したという背景を以て大して高くはない。

 彼が一番――多分本人的にも気に入らなかったであろう、彼の評価が高くない、正当に評価されない理由は「ケネディに比べて」という部分だ。いくら何をやっても、ケネディの亡霊には勝てなかった。ケネディは言い方は悪いが、実に伝説的タイミングで暗殺されてしまった。だからこそ、その全て――問題も含めて、伝説になってしまった。リンドン・ジョンソンは、その亡霊を払う事はできなかった。

 政治家として、絶対的なアイドルとなったケネディとは違い、従来型の政治家を脱却できなかったリンドン・ジョンソン。思い出美化ブーストのかかったケネディに評価で勝てるわけがない。

 

 ――これ、もとい彼と同じである

 ヤマト2はさらばの陰に負けたといえる。まずまずの成果では、正当な評価は得られない。得られるはずがない。さらばという感動や熱狂の中でこそ、誰も気にしなかった作品のアラ。ヤマト2という、熱狂の過ぎた――或いは、いったんの区切りや過度の期待を受けた作品においては一切の妥協は許されない。

 が、それが実現できなかった。「ご都合主義で見るべきものの無い作品」、というのはこれは読む力や見る力、考える力のない残念な評価に過ぎない。が、他方でアニメ史上燦然と輝く偉大な作品――と呼ぶにはあまりに力のない作品

 正直に言えば、『私は好きだけど、アニメ史とかいう大風呂敷にはおよそ耐えられない作品』というレベルだろう。もう少し擁護したかったが……。

 

 

 2202は自分で取っ散らかったのだから、アレは自業自得。私は知らん。