旧作ヤマト考察協会

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大艦巨砲主義対航空主兵論② 戦艦とは、主力艦とは

 

 

  大艦巨砲主義とは何か。

 これを考察する上で、そもそも海軍の役割や突破力を持った戦闘艦の役割について考えたい。これを考える事で、戦艦というものに要求されるべき性能や、現代では本当に戦艦が存在しえないのかを考察したい。


 そのためにはまず、ざっくりと海軍史を主力艦に焦点を当てて振り返る必要が有るだろう。

 

 

 海軍の歴史1 古代の海軍


 古代において、海軍の発生もその編成も意外なほど不確実だったりする。
 基本的には海軍は海賊対策のための商船護衛と考えて差し支えない。初めから武装した船舶を対外戦争に用いたと想定しようにも、船が輸送手段として確立されねば武装を施して攻撃兵器として用いるという発想は出てこないだろう。信頼性の問題である。
 船が輸送手段として性能や航路などが確立され、商船による貿易が発展した後。その後、弓矢や剣で武装した海賊が現れ、同様の武装を施した船舶を国家が建造・海域に展開させた。これが海軍の始まりと考えた方が自然であろう。

 古代ヨーロッパの諸国海軍は基本的に1種の船舶で構成されていた。つまり、ガレーである。後代において二段や三段櫂船が現れるのだが、構造や形式は単層ガレーと変わりはない。運用や弱点も重量による差はあっても基本的には同じである。
 ガレーによる海戦は近接戦闘である。弓矢やガレーが大型化した後には投石器を備え、これらの射程圏内に彼我の戦隊が突入した途端に戦闘を開始する。火矢や巨岩が雨あられと襲い掛かり、その合間を縫って接近し、敵ガレーの櫂めがけて衝角攻撃を敢行する。熟練したクルーを要するガレーの場合は勇敢にも舷側に突っ込んでゆく。
 陣形も全船が舳先を真正面に向けて数層の横陣を構成するのが基本である。あまり陸上の戦闘と変わらない。防護陣形はテミストクレスが展開させた舳先を外に向けた輪形陣などがある。決戦兵器である衝角を敵に向け、いつでも最終的攻撃を敢行できるようにという事だ。


 古代中国においては複雑で、任務ごとに特化させた戦闘艦艇を複数隻擁した艦隊をまるで城塞の様に陣形を組ませて戦闘を行う。この陣形の中には赤壁の戦いでやむを得ず使用した連鎖の計のように物理的拘束を以て、艦隊を要塞化することもあった。崖山の戦いに至るまでの南宋海軍も同じように艦隊を要塞化して元・属国連合艦隊に対峙していた。
 これは現代の空母打撃群に近い考え方かもしれない。

 

 

 海軍の歴史2 中世の様相
 戻ってヨーロッパ。
 ガレーは何も敵艦隊と戦うだけではない。実は港の封鎖を突破する役割も持っていた。五段櫂船のような巨大戦艦や四十段櫂船(Tessarakonteres)のような超巨大戦艦などが古代に存在していた。四十段櫂船にいたっては何と全長130メートルに達し、戦闘要員を3千人弱擁する圧倒的戦闘艦だ。空母か、強襲揚陸艦のような性格の船であるが、この巨躯から繰り出される突進はそれだけで致命的である。
 この特殊戦闘艦は全速力で港湾へ突進し、その入り口にある鎖を木っ端みじんに引きちぎり、無理やり接岸して乗組員を放出する。つまり、港を守るために構築された封鎖戦をパワーで無理やり突破するのが役割である。
 他にも、マケドニア王国の中核艦〈レオントフォロス(Leontophoros)〉やプトレマイオス朝エジプト艦隊の総旗艦であるTESSERACONTERの〈30〉や〈40〉など、巨大戦艦は度々古代史に登場する。いづれの戦闘艦も、巨躯による突進や圧倒的人員による接舷後の切込みを以てその性能をいかんなく発揮した。特に〈レオントフォロス〉は歴史家のメムノーンが記すところである。


 しかし、火砲の登場と、ある海軍国家の発明によって様相が一変した。


 ガレーの船首に軽砲を装備することで突破力を増すことになった。が、ここまではそれまでと大して変わらない。この突破力を増したガレーを打ち破る秘策、それを発明したのが日の沈まぬ巨大帝国ハプスブルクスペイン王国である。
 発明は極めて単純だった。大型ガレーの舷側に大型火砲を並べただけ。しかし、重心という船にとっての天敵の機嫌を損ねないようにするのは、素人が思う以上に難しい。砲を撃てば衝撃がある。甲板は当然これに耐えねばならない。色々と障壁があるのだ。しかし、その困難を乗り越えスペインはオスマン帝国の進出を食い止めるべく、切り札たる新鋭艦種ガレアス船を発明したのである。このガレアス船によりプレヴェザの海戦の雪辱をレパントの海戦によって晴らすのであった。

 このガレアス船は更に進化を遂げ、オールによる航行をほぼ完全に撤廃。ガレオン船として完全帆走、舷側砲門艦として他世界の戦闘艦に対して圧倒的優位に立つこととなった。快速、高攻撃力の何でもできる万能戦艦だ。


 舷側に多数の砲門を設ける傾向はさらに強まり、2層へと層が厚くなる。更に、重心の上昇を抑えるためにタンブルフォーム形状を強め、最上甲板に多数の砲を並べて火砲のプラットホームとしての性格を固定するに至ってようやく戦列艦が登場した。更に〈ヴィクトリー〉などの3層100門艦(これだってそもそも最上甲板を4層目と数えても構わないぐらいなのだが)や本格的な4層砲甲板艦〈サンティシマ・トリニダー(正式名称:エストラ・セニョーラ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダー/意味:聖三位一体の聖母)〉の登場によって対艦戦闘を最優先課題とする火力投射艦種として完全なる完成を見た。

 

 

 海軍の歴史3 近世および近代において

 戦列艦という艦種は確立した性質を持ち、換えが利かなかった。
 洋上で戦列艦に対抗できるのはより強力な火砲を持った戦闘艦か、それこそ戦列艦ぐらいである。しかも艦は背が高く、各砲門ある程度仰角が取れる為、陸上砲に対しても優位に離れなくとも移動砲台としてそれなりに対抗できた。
 蒸気機関という悪魔的な発明も、この戦列艦という艦種の優位性に何ら影響を及ぼさなかったといえる。

 確かに、我々日本人になじみ深い〈サスケハナ〉や〈咸臨丸〉などの従来はフリゲートと分類されていた蒸気戦闘艦は強力な戦力として存在している。だが、戦列艦もまたスクリューを手に入れる事で蒸気推進艦として敵に対する圧倒的脅威となった。フリゲートが快速で戦うならば、戦列艦は火力で対抗した。
 装甲艦に対しては、その質量を持って一定程度対抗した。


 装甲艦蒸気機関の誕生が無ければ存在しえなかっただろう。 
 分厚い何重枚、何百枚の装甲板を船殻に張り付けるのだから、底に薄い銅板を張り付けるのとはわけが違う。銅板はあくまで速力の増加と維持・船体の保護を目的とした。船体の保護という意味では確かに装甲板も同じだが、重量が違う。もし、帆走オンリーであったならば恐らく、戦闘航行はできなかっただろう。
 装甲艦は初期においては帆走を想定した装備を付けていた。が、それは蒸気機関に対する信頼性――途中でぶっ壊れないかどうかという意味――に問題があったからであった。結果的には杞憂で終わったのであるが。

 さすがに、装甲とそこそこの口径な火砲を多数というのは虫が良すぎた。残念ながら両立できた例はない。そのため、装甲艦はウォーリアー系のフリゲートタイプとグロワール系の戦列艦を単層化したような見た目の2系統が発生した。更に、特殊な事例として南北戦争において砲弾の着弾を避けるための超低乾舷艦USS〈モニター〉とCSSヴァージニア〉が誕生した。
 前者の装甲艦と後者の装甲艦ではコンセプトが結構異なる上に、投入された技術が異なる為一概には言えないが、これらが旧世代の木造戦闘艦とその地位を争っていった。

 

 

 装甲艦の衝撃
 よく、モニターは現在の戦闘艦の始祖のような扱いを受けるが、微妙に違う。
 ヴァージニアと同系統の戦闘艦はすぐに廃れたという印象を受けるが、これ微妙に違う。
 モニターと後代に現れた砲塔形式の攻撃兵器を持つ艦船とは発生の理由や時期が隔絶している。形状が似ているのは収斂進化といった方が正しいかもしれない

 他方で、ヴァージニアと全く同じ構造の戦闘艦は確かに南部連合でしか建造されなかった。しかし、砲郭艦という概念はずっと用いられ続け、デスヴァデーション級装甲艦の登場に伴う砲塔の標準装備化まで、主力に近い採用のされ方をしていた。ヴァージニアやその系統の砲郭艦は、戦列艦の流れをくむ舷側砲郭艦の亜種とも呼べる性格であった。そのため、砲塔形式が確立するまでは十分第一線だったといえる。

 

 何はともあれ、蒸気機関の登場により海軍の諸艦艇は圧倒的な推進力を保有することとなった。帆走は陳腐化され、また単なる舷側砲門艦は時代遅れとなっていく。
 黎明期における主力艦の性格を決定づける出来事を一つ挙げるとするならば、リッサ海戦であろう。これは装甲艦と木造艦の生存をかけた決戦であり、武装配置の実践検証でもあった。

 リッサ海戦はイタリア王国オーストリア帝国との間に起ったアドリア海の要衝リッサ島をめぐる攻防のフィナーレである。カルロ・ぺルサノ提督率いるイタリア装甲艦隊とウィルヘルム・フォン・テゲトフ提督率いるオーストリア艦隊が正面から激突したまさに決戦である。
 この海戦の戦訓は

 1、木造艦は装甲艦に勝てない
 2、艦砲は決定打となりえない
 3、衝角こそ決戦兵器に相応しい

 である。実は3番以外の戦訓は間違っているのだが、あまりにも華々しくかつ明確な戦闘結果をもたらしたためにこのように解釈されたのである。


 ナポリシチリアの士気が低めの水兵諸兄や、ぺルサノの多分低い指揮能力(旗艦を半ば遊軍化させ、そこから指揮を執ろうなんて、当時の技術じゃ無理なのだが、多分この人解ってない)アルビニの異様に低い士気のようなヒューマンエラー的マイナス要因は全く考慮されていない。大体、直前に完成したばかりの新鋭艦を投入するという時点でぺルサノって……。一方で、テゲトフ提督の強力なリーダーシップと敵の装甲すら問題としないペッツ大佐のような木造艦司令、勇敢なヴネツィア人クルーというプラス要因も考慮されていない。


 多分、ヴァッカ少将が総司令として艦隊指揮をし、ぺルサノに快速艦を任せ、泣こうがわめこうが無理やりアルビニを戦場に引っ張り出せば結果は大いに変わったであろう。少なくとも、ペッツ戦隊による猛攻をアルビニ戦隊の木造艦で防ぎ、ぺルサノに適宜味方援護を頼み、ヴァッカ自身の主力艦隊全力を以てテゲトフ戦隊と対峙しえたはずである。
 何が言いたいかといえば、司令官やクルーの力量と運があれば多少の性能さなど簡単に乗り越えてしまえるということ。当事者同士以外、この事に気が付かなかったのは何とも悲しい事である。
 

 何にせよ、各国海軍はリッサ海戦を研究し、それぞれに答えを得た。


 以降、主力艦に限らず――全艦艇に衝角を装備させるという、まるで地球艦隊の波動砲依存ような状況をもたらした。また、艦砲は装甲を撃ちぬこととこそできなかったが、しかし損傷を与えることはできた。つまり、艦砲を大型化すれば打撃力を向上する事が確実に可能という事である。隙あらば衝角を敢行するため、そもそも会敵は大抵お互いに真正面を向いていても不思議ではないため、艦首方向へ火力を集中しうるような武装配置へと艦形が定まってゆく。装甲も、出来るだけ厚く、広範囲に施す。
 テゲトフ級装甲艦はこの戦訓を取り入れた舷側砲郭艦の晩期艦級と言えるだろう。一方で、巨大砲を積むと砲門の絶対数が減るという問題が生じる。


 そこで現れたのがカイオ・ドゥイリオ級戦艦。中央に砲塔形式の45センチ短砲身砲を備えた低乾舷艦である。重心を低くし、波浪の影響を抑えるために乾舷を低くし、艦幅をたっぷりと取り、砲門数の不足を補うためにほぼ全周への攻撃が可能な砲塔形式を採用したのである。USSモニターの超越的拡大版ともいえよう。

 この低乾舷艦の最大の弱点は高波であった。外洋における航行性能は極めて低く、最大線速で敵艦隊に突進して砲雷撃戦を行うなど夢のまた夢である。
 この問題を意欲的に解決をしようとして一度大事故を起こしたにもかかわらず、結局成し遂げたのがかの大英帝国だ。

 

 

 戦艦、ついに登場
 ロイヤル・ソブリン級戦艦は世界初の近代戦艦と呼ばれる。
 高い乾舷というのは当たり前だが、物理的に海面から甲板を離す――これは波しぶき等による射撃への影響、航行中の抵抗の低減など様々なメリットをもたらした。この時代までは大河川への遡上も視野に入っていた為、小型の戦艦も建造されていたりと海上トーチカ的役割も要求されている。そもそも戦車が陸上における戦艦として登場を期待された存在であるため、表現が逆だが。
 戦艦自体の性能であるとかは他の人に聞いて。

 この弩級戦艦は僚艦と共に戦列を組んで敵艦隊と対峙することもあれば、あるいは敵の港近くに潜伏して適宜遊弋し封鎖を行ったり、あるいは要塞に向かって砲撃を行う事もあった。特に第一次世界大戦においては弩級戦艦群が敵主力艦隊を牽制している間に上陸作戦の火力支援として駆り出されたのである。
 戦列艦時代から要塞に対する攻撃手段としても、上陸支援のための大火力としても運用され、前弩級戦艦も同じように運用された実績があるのである。考えようによっては、純粋に敵艦隊への攻撃手段としてのみ運用された弩級戦艦というのは本当はいびつな運用のされ方だったのかもしれない。

 時代は進んで超弩級戦艦の時代に入る。実はこれは微妙な呼び方で、40センチ(端数省略)砲艦である〈長門〉や46センチ砲艦〈大和〉の影に隠れがちな、一見すると弩級戦艦にしか見えない〈扶桑〉以下の38センチ砲門艦も立派な超弩級戦艦である。弩級戦艦超弩級戦艦の違いは投射量の違いと言える


 超弩級戦艦や、条約に縛られた新戦艦は、軽量級の大火力として海戦の中核をなす。同時に、味方陸上戦力の上陸支援として大火力を投射する移動砲台としても用いられた。
 38センチの破格の砲弾が水平線の向こうから飛んでくるのだから、どれだけの恐怖と威力と奇襲性であろうか。要塞化されていようが、いなかろうが、戦艦による艦砲射撃は圧倒的な優位性を誇り、上陸部隊を支援できる。
 多分、オハマビーチや硫黄島の支援火力があんまり役に立たなかった話を反証に持ち出されると思うので先手を打っておくと――前者はそもそも駆逐艦の火砲で、これだってよく見ればそれなりに有効であった。第一、海岸側からは敵の砲陣地が見えない事も多く、上陸部隊との連携が必須であったが、どうもそれが上手くいかなかった傾向にあった。前提が崩れているのだから、有効な作戦展開には当然ならない。

 硫黄島ではそもそもとして、栗林中将が築いた巨大地下陣地は艦砲だろうが爆撃だろうが全く寄せつくなかったし、現代の技術でも攻略に時間がかかるだろう。

 もう一つ、ヘンダーソン飛行場への攻撃があるが、一回目は成功していた。ただ、第二飛行場の存在を見落としていたのが痛かった。その後は巡洋艦駆逐艦による一段威力の下がった砲撃であったため、当然のごとく戦果は低かった。


 何度も言うが、使う側の頭がよくなければ性能は十分に引き出せないのである。有効となる前提を達成できなければ何事もうまくいかないのである。

 

 

 新たな主力艦、続々

 ライバルとしてまず、航空母艦(略称:空母)は想像に難くないだろう。

 確かにコストは非常にかかる。守勢に回ればと単位脆くなる。だが、そのリスクに見合うだけの大規模な破壊を敵にもたらす。それも精密な攻撃で破壊をもたらすのである。戦艦の砲撃とは比べ物にならない精密さ、しかも大規模。戦艦を配備・運用するのは簡単だが、しかし空母と同時に配備・運用するのは非常に難しい。

 これを補って余りあるほどの能力を現代海軍は見出したといえよう。

 

 次に現れたのはミサイル艦だ。

 こちらに至っては、戦艦よりも空母よりも配備に金がかからない。確かに一隻当たりの攻撃力はたかが知れている。艦体が相対的に小さく、一発当たりの敵弾の破壊力が相対的に大きくなってしまう。それでも、たとえ雑魚でも束になれば敵の大型艦に十分対抗できる。空母すら、この艦艇によってその価値は損なわれなくとも信頼性が損なわれてしまった。結局、敵のミサイル艦艇に対抗すべく自身もミサイル艦艇を集結させて敵に当たるという事になった。

 

 

 主力艦の座は戦艦よりも非常に攻撃範囲の広い空母にとってかわられたといって差し支えないだろう。航空機自体の対空能力はスピードの向上により、航空優位というもののウェイトが大きくなり、戦艦が海域に存在するという制海権の確率よりもその重要度が増さった。

 そして、戦艦を追い落とした空母でさえも、安価で精密な攻撃が可能なミサイル艦にその座を脅かされてしまっている。

 このミサイルという悪魔的な存在により、海上戦力は常に危険にさらされることとなった。この危険に対し、空母であればいくらでも対処可能かつ、他の任務でも戦える。他方で戦艦は自身をミサイルのプラットホームにすることも可能だが、もっと安価で同等の能力を発揮できる艦の方が海軍も国民も求めている。

 

 空母は主力艦足り続けているし、今度もそれはほぼ変わらないだろう。ただ、ミサイルという存在によって、艦隊の要としての主力艦という考え方そのものも見直す必要が出てきていることは否めないだろう。

 

 

 戦艦の果て
 結局、第二次大戦において戦艦は戦艦同士の艦隊決戦にほとんど用いられなかった。諸条件が揃わなかったというのが原因である。諸条件とは、彼我の経済や資源確保状況などの事であり、当然日本では石油の無さのせいで戦艦群を出来るだけ動かさないという選択肢しか存在しえなかった。イタリアも同じである。

 確かに、元来の目的である敵戦艦の撃破をすることはできなかった。が、これだけ活躍し、価値を見出すことが出来たはずの戦艦がなぜ今日に存在しないのか。
 

 残念ながら軍の装備は活躍だけでは採用も維持もされない。費用対効果に優れるか、柔軟な運用が出来なければならないのである。

 これが現代における主力艦の大前提。果たして、戦艦にこれが満たせるのだろうか……。