旧作ヤマト考察協会

第一作から完結編まで、旧作宇宙戦艦ヤマトを出来る範囲で現実的に考察するブログです。

ボロディノ級戦艦 駄作か、傑作か、あるいは……

 

 ボロディノ級戦艦は日露戦争のハイライトである日本海海戦を戦ったロシアの主力艦である。5隻中4隻が完成次第、全艦第二太平洋艦隊に編入し日本へ回航。対馬沖で日本艦隊と正面から砲撃戦を行った。

  なお、私はボロディノと発音しますが、他の方はボロジノだったりしますので気にしないで下さい。

 

 

 データ(ごめんなさい、手元に資料がなかったのでウィキの記事をベースに)
 設計排水量:13,516トン(実際常備:14,091~14,415トン)
 全長:121メートル(水線長:118.7メートル)
 全幅:23.22メートル
 設計吃水:7.97メートル(実際:8.24メートル)


 機関: ベルヴィール式石炭専焼水管缶28基+直立型三段膨張式四気筒レシプロ機関
 設計最大出力:16,300hp(実際15.012~16,378hp)
 推進:2基2軸
 設計最大速力:17.8ノット(実際:16.2~17.64ノット)
 燃料: 787トン(常備)/1,235トン(満載)
 航続距離:10ノット・2,600海里(常備)/10ノット・5,000海里(満載)


 乗員:835名
 兵装:オブホフ1895年式30.5センチ40口径砲・連装砲塔2基、1892年式15.2センチ45口径速射砲・連装砲塔6基、1892年式7.5センチ50口径単装速射砲・20基、オチキス 4.7センチ43.5口径単装速射砲・20基、マキシム7.62ミリ機銃4基、38.1cm水上魚雷発射管2門、同水中魚雷発射管2門(パラノフシキー 6.35センチ19口径野砲・2基、
機雷50個)
 装甲(クルップ鋼):舷側・152〜194ミリ(水線部主装甲)、165ミリ(弾薬庫)、145ミリ(艦首尾部)、38ミリ(水線下隔壁)/甲板:75ミリ(主甲板)38〜51ミリ/主砲塔:254ミリ(前盾・側盾)、63ミリ(天蓋)、主砲バーベット部:229ミリ(甲板上部)、102ミリ(甲板下部)/副砲塔:152ミリ(前盾・側盾)、30ミリ(天蓋)、副砲バーベット部:127ミリ、7.5cm砲ケースメイト部:76ミリ/司令塔:203ミリ(前盾・側盾)、37ミリ(天蓋)

 

 

 ぶっちゃけると、フランスに建造を依頼した〈ツェザレウィッチ〉のロシアナイズ品。自国の軍事技術の醸成と国内の重工業の振興を兼ねたプロジェクトで、5隻が建造された。塗装はバルチック艦隊仕様であるが、建造直後ないし以前から太平洋艦隊編入が決まっていた特殊な立ち位置でもある。

 

 

 

 武装
 ロシアらしく、フランス流の傾向が非常に強い武装セレクトとなっていることは言うまでもない。ただ、本家フランスに比べて武装過多な傾向にあることは否めないだろう。

 

 主砲たる1895年式30.5センチ40口径砲(12"/40 морская пушка)はオブコフ社(工場)が製作する国内生産・海軍専用砲ではあるが、ベースは外観も形式もフランス流。ようやく無煙火薬に対応した大型砲で、国内初生産のある意味偉業。〈シソイ・ヴェリーキー〉に搭載されて以降、4艦級及び3隻にワンオフ戦艦に搭載された。
 元々はクルップ社製の砲を使用していたロシア海軍が、その命中率の中途半端さに業を煮やして奮起、制作にこぎつけた砲である。同盟関係であり、曲がりなりにも海軍大国のフランスの偉人カネーやシュネデールの協力を得て、ドイツのそれよりも強力な砲の設計に着手、3年ほどの月日を経て完成。初期型は油圧駆動、後期型は電動により装填から発射までを約90秒でこなした。一門当たり60発の砲弾を備える計算。
 仰角が15度までというのは他国も大して変わらない。装填、照準、射撃、再装填までが4分はかかるという――結局、良く言えば他国の砲とそん色ない悪く言えば優れている点も特にないといえる。ロシアは初速を上げて貫徹力を高めようとしていた為、元々採用していた砲弾よりも幾らか軽い331.7キロとし、結果日本軍のそれよりも幾らか能力が劣る事となってしまう。日本軍の砲弾の方が50ないし60キロ重く、その分いくらか威力は上。

 続々と登場する強力な後発戦艦に対抗すべく、5番艦〈スラヴァ〉のみ仰角を25度にプラスし射程は21,022メートルと6,382メートルアップした。

 

 副砲は素直にカネー砲をライセンス生産した1892年式15.2センチ45口径速射砲(152-мм пушка Канэ)を連装砲塔に収めることで、ケースメイト式より重量を削減しつつ火力を確保。1分あたり10発の速射が可能――というのは万全の状態だけであって、実際には7発程度、〈ペトロパブロフスク〉などのひどい艦になると2発程度にまで落ち込む。41.4kgの砲弾で射程は11,500メートル、仰角は困ったことに主砲のそれと同等。
 ボロディノ級に搭載された砲塔は、旋回角度は中央砲塔は180度、前後砲塔はそれ以下の大体135度。困ったことにあんまり速射性は高くなく、1分当たり2発から4発程度。一門当たり180発ほどの砲弾が用意されていたとの事。

 水雷艇用の備砲はこれもまたカネー砲のライセンス品である1892年式7.5センチ50口径単装速射砲(75-мм пушка Канэ)を搭載。これをタンブルフォームの“中腹”に20基も単装で設ける。仰角が大して取れず、13度ほどだが4.6キロの砲弾を6,405メートルの距離までぶっ放す。300発ほどが一門当たりに用意されており、非常に水雷艇の事をロシアが恐れていたと言えるだろう。また、オチキスから普通に導入した4.7センチ43.5口径単装速射砲をあちらこちらに備える。これは1キロの軽量砲弾を毎分15発ぶっ放す。

 
 水中魚雷発射管は6発の予備を備え、水上の予備4発を加えて結構な数の魚雷を抱えていた。また、停泊地の安全を確保するための機雷を50個ほど用意していた。


 火砲は全てフランス製がフランス砲のライセンス品か、フランス人が設計に関わっている。その形状もまたがっつりフランス流で、砲塔が楕円形。バーベット直結時代の洋ナシ形でもなく、英米流の亀甲型でもなく楕円形。
 武装配置もフランスの様に前方に対する火力集中を指向している傾向が強い。別に舷側に弱いわけでは無く、絶対的に敵艦に対して火力が上回れる方向が艦首に設定してあるという事。何せ主砲1基2門と副砲塔4基8門を指向可能であることは非常に大きく、イギリス流の砲塔配置ではどうあがいても主砲1基2門とケースメイト4ブロック4門程度。一回の斉射で4発は確実に敵を上回れる。彼我の速射力が同等であればイギリス流では14発に留まるが、露仏流配置では26発に上る。12発も速射砲が相手を襲うのだからかなり恐ろしい。計算上であったとしても、これが可能であるという事は決して無駄ではない。また、砲塔内に収めた事により、2門ずつまとめて照準、発射可能である為に一定程度以上の命中率確保が可能。

 照準が甘かったら2発ずつ無駄にしてしまうのだから余計アレな場合もあるにはあるが……。

 

 

 防御性能

 厚みは別に他の国に比して大して薄いと言うようなことはない。幅は心もとなくとも、そこまでヤバいわけでは無い。
 艦上部構造物の内、煙突周辺は事実上単なる空間装甲みたいなもので、内部に何か重要な部分があったというわけでは無いから特に問題はなかった。艦橋も、当たらなきゃ大したことないし、この時代は特に当たれば大惨事であるからこの艦ばかりがまずいわけでは無い。砲塔周辺も、特段薄いわけでは無い。

 しかし舷側に関してはちょっとまずかっただろう

 幅が微妙に足りず、うっかりすると水中に没するか、あまり軽すぎても装甲帯の下が丁度海面に付近になってしまう。これはさすがに擁護できない。しかも日本海で戦ったのがまずかった。
 霧はあっても波はない黒海や、敵の程度がたかが知れているバルト海であればよかった、穏やかな黄海であっても問題は大きくはなかったはずだ。だが、日本海だもの。波の高い日本海――どうあがいてもどのタイミングであっても、舷側の装甲帯の上やら下やらが丸出しになって砲弾も魚雷もウェルカムになってしまう。


 元から太平洋艦隊向けと言って差し支えない戦闘艦で、この設計はまずかっただろう


 


 形状
 よく言われるタンブルフォームの欠陥だが、この艦に関して言えば別に大した問題ではない何せ無茶な運動を行わなければならない時点で味方は完全に劣勢、ここから挽回は難しい。あとは撃たれて撃たれまくるのみ。。また、戦闘において人も艦も過労状態かつ過積載状態で戦った日本海海戦に関してはこの艦の真価を見るには適さないと断言できる
 13度だかそこらがカタストロフと言われ、それを超えると復元性を発揮できずに横転するという。一方でそれに対し根拠がないとか色々あるが――これも別に大した問題ではない。ノビコフ氏がそういう話を聞いたとあれば、それはそれ。事実であれば、少なくともロシア帝国海軍はこの角度に警戒していた、その前提で艦隊運動を考えようとしていたとなるだけ。形状の弱点を把握ないしある意味過大評価していた。甘くは見ていなかった、というだけ。これが計算してみて事実でないならば、ロシア帝国海軍の勘違いならばそれはそれ。

 

 

 上部がすぼまったツボのような縦断面をするのがタンブルフォーム。どうあがいても下方の方が重量がかさむ=重心が下がるのは誰が見たって判る事だろう、強制的に重心を押し下げるのがこの形状の目的である。目からうろこな感じの形状の設計である。強引ではあるが、有効な策だ。


 ただ、この形状にも問題はある

 復元性の問題など、後でどうにでもなる事であり、ベースラインで心配する問題ではない。心配すべき最大の問題は、どうにもデッドスペースが解消できないという事だろう。どうやったって舷側に兵装を設けるならば、上部を切り欠くような空間設計か完全に外に迫り出す他ない。倉庫だとしても大して使い用がない。この微妙に不足したスペースを確保するために微妙なスペースを上部に設ける、或いは設けないのだが防護のために装甲をやぐらにする、という事をするとうっかり重量が増えてしまう。元来、重心を下げ、重量を低減し、それによって武装や装甲を充実させるための形状が――むしろトップヘビーを促進しかねないのだ。フランスは本家本元らしく、うっかりこれをやってしまった。

 

 タンブルフォームを採用したボロディノはトップヘビー傾向だ。背が高いのはまごう事ない事実である。だが、絶対に忘れてはならない事として……この背の高さはこの艦に限った話ではないという事だ。ロシア軍艦の傾向として全体的に背が高くなるである
 背が高ければ当然、敵より早く敵を発見できるからそれだけ味方が有利になる事には違いない。だから別に悪い事ではないのだが、無計画にやるとこれ、艦全体のバランスを崩しかねないため慎重にしなければならない。どういうわけか艦橋を乗せる甲板の位置とか、全部の部品が大型であるとか、色々積み重なって結果……艦橋や艦前半部が凄く背が高い。

 理由は知らんが――ともかく、ロシアはこの形態の艦橋やデザインベースを合理的なものとして捉えていたのであろう、だから……これは仕方がない。「トップヘビーで危ないですよ」、と忠告しても「その危険を犯す価値はある」と言い返されてしまえばそれまで。2代目装甲巡洋艦リューリク〉になってようやく艦橋が低くなった。他は皆背が、高い。

 

 例えていうならば、小林誠アンドロメダのリファインを頼めば当然あまたでっかちの“タコドロメダ”が完成するのは目に見えていた。ヤマトのリファインも絶対どうにかしてあまたでっかりにする、絶対やるぞアイツは。
 という話と同じ。これが正しい事だと思ってやっているのだから、傍から見てそれが合理的であるとかどうのこうのは、本人にとってはまったく関係ない事。というか、本人は合理的だと思って、カッコいいとともってやってることなんだろうし。いくらダサいといっても通じないわな。ヤマトのメカとして不細工と言っても本人がそうは思っていないのだから聞く耳持たないわな。聞き心地のいい意見以外はブロックするわな。
 他人の金を使ってそれをやるのが倫理的、道徳的、プライド的にどうなんだという話はあるだろうが。
 

 

 要は、ロシアがフランスに頼んでベースを作ってもらった戦艦を、ロシアが更に自分たちに使い勝手がよくなるように変更した結果――思った以上にうまくいかなかったというだけ。"よかれ”が裏目に出て“よからぬ”事になったが、それでも必要な最低限の性能はちゃんと果たせるレベルにまでは仕上がっていた
 タコドロメダとは違って、そこまでぼろくそに言われるような戦闘艦ではない。

 

 では、この艦級はどうすれば活躍できたか?

 

 積まなきゃよかった。
 長期航洋の為に様々な物資を積みこみ、場合によっては食用にウシだのを積みこんでみたりと艦内の至るところに物資を詰め込んだのだ。一体何百トン計画よりも増えてしまっていたのだろうか。

 〈アリョール〉の開戦直後の写真を見れば、明らかに艦首の水上魚雷発射管がギリギリ水上に出ている状態でずっと航海していたのがわかる。艦尾の水上魚雷発射管なんて事実上水中魚雷発射管状態だったことも見て取れるだろう。本来は艦首水上魚雷発射管のもうちょい下あたりを水線にする予定ないしそれが通常らしく〈ボロディノ〉の衝角の目盛りがそれを物語るのだが――目盛りの結構上まで水面が来てしまっていた。

 後代に戦闘に参加した〈スラヴァ〉に関しては、ちゃんと計画通りの位置に水面が来ていることから考えて、〈ボロディノ〉から〈クニャージ・スワロフ〉まで、全艦過積載だったというのは明白だろう。


 訓練してからにすりゃよかった。
 訓練しながらの航海――これは冗談では無く後悔しかないだろう。右も左もわからない新兵や新技術についていけない老兵を満載した新戦艦。修練航海すらできていない、戦闘もドッカーバンク事件を除いてぶっつけ本番だったのだ。

 どう考えても無理だろう。

 無論、まともな兵士も多数乗っていたには乗っていたのだが、新鋭の戦艦の乗り組みは勝手が違う。微妙に今までのロシア戦艦とは性質の違う戦艦であれば、なおの事問題がある。そんな状況の中で彼らは戦ったのである。また、ロシア革命前夜という事も加味しなければならないだろう。飯もまずい、帝政府の政治もまずい、外交もまずい、フランスの支援も中途半端でまずい、ロジェストヴェンスキーの艦隊運営もまずい。まずい事尽くしの中の航海なのであった。

 これ、全部艦の能力とは無関係。驚くほどのめぐりあわせの悪さが、この艦の能力を明らかに減じてしまった。

 他方、日本艦隊は猛訓練に次ぐ猛訓練。全力でイギリスに頼った対ロシア圧力に加え、ずっとバルチック艦隊にイギリス艦隊が嫌がらせを続行。まるであおり運転のような悪質な接触まで行ったのだからもう――バルチック艦隊の皆さんが可哀想になってくる。さらにイギリスはロシアの同盟国フランスにも圧力を加え、ロシアの退路を断った。また、日本は日本で土下座外交高橋是清の活躍で資金調達に成功。天皇から平民まで全ての国民が団結、帝国の未来をかけて戦争に喰らい付いていた。

 

 バルチック艦隊が勝てるかこんな状況で

 逆にどうやったら彼らは勝てたんだよ。

 

 

 日本海海戦で忘れてはならないのは――バルチック艦隊が日本艦隊に対して惨敗したのは確かに世界を驚愕させる事だった。新鋭戦艦4に“巡洋戦艦”1に旧型戦艦3+海防戦艦3に加えて装甲巡洋艦3と防護巡洋艦5に駆逐艦9。これだけの数をほぼ全滅させ、ウラジオへの逃亡すらほとんど阻止することに成功した。

 これはまさに完勝である。

 バルチック艦隊が引き分け=ウラジオ突入に持ち込むタイミングはいくつか存在した。引き分けになるという事はその時点で戦略的勝利という事になる。これを阻止したことが連合艦隊の偉業であり、大型艦の喪失なしで達成したという圧倒的勝利。日露戦争のほとんど決定的な勝利の要因と言えただろう。

 日本海軍は楽な戦いをしたわけでは無い、ただ、勝つ可能性を十分確保できた戦いだった。奇跡的ではあったが、奇跡では無かったという事。ロシア側も相当困難な状況にあったという事は忘れるべきではないだろう。

 

 

 

 スラヴァの活躍
 確かに、1番艦から4番艦までは散々だった。だが、5番艦は違った。
 1905年就役した〈スラヴァ〉は、戦後回収できた〈ツェザレウィッチ〉と共にバルト海における中核戦力となった。地中海方面にも足を延ばして練習航海なども行い、たまたま遭遇してしまったメッシーナ地震の際には同島の住民を救助するなどの人道支援を行った。
 残念ながら1910年に缶の故障という最悪な事故を起こし、結果的にフランスでオーバーホールをしてしまう。

 就役から9年、第一次世界大戦勃発に伴い同艦はバルト海艦隊の中核戦力として〈ツェザレウィッチ〉や後発の準弩級戦艦パーヴェル1世〉らと共にリガを中心とした海域の防衛に当たる。1915年8月8日、第一次リガ湾攻防戦。戦艦7、巡洋艦6、駆逐艦24他多数からなるドイツ艦隊の進入に対し〈スラヴァ〉と砲艦3隻が迎撃のために出動、機雷原を嫌ったドイツ艦隊は戦闘を切り上げる。続く16日には再度ドイツ艦隊が侵入、翌17日にも侵入してきたドイツ艦隊に対し〈スラヴァ〉は再度迎撃のために出動、これと交戦するも形勢不利により撤退。
 他方でロシア側も反撃を試み陸戦隊の戦闘では〈スラヴァ〉は火力支援を行う。
 翌年、ロシア革命発生。艦隊は臨時政府を経てロシア共和国の所有となる。

 同年10月17日、ムフ海峡の戦い。
 弩級戦艦2、巡洋艦2からなるドイツ艦隊が侵入。これに対し闘将ミハイル・バーヒレフ中将は装甲巡洋艦バヤーン〉を旗艦とし、〈スラヴァ〉、〈ツェザレウィッチ(この時の艦名はグラジュダニーン)〉と他水雷艇8隻を以て迎撃を試みた。
  機雷原を避けたドイツ艦隊はたまさかに沿岸砲台の射程圏外を航行、水雷艇を警戒の為に前面に出して前進していた。これを捉えたロシア艦隊は果敢に最大射程で砲撃を開始、先頭を走っていた〈スラヴァ〉が戦端を開いた。他方、ドイツ側は急遽水雷艇に代わって弩級戦艦が前進し応戦開始する。
 果敢に砲撃を行った〈スラヴァ〉の他方、僚艦は射程が短く砲戦に加わること敵わず、機雷原除去を試みる掃海艇に対して砲撃し、行動阻止を試みていた。ほとんど単艦で戦っていた〈スラヴァ〉は早々に艦首主砲を故障によって失い、大きく火力を減じる。また、敵の命中弾が続発し浸水激しい〈スラヴァ〉のこれ以上の戦闘続行は不可能と考えたアントーノフ艦長は撤退を決意。反転し艦尾砲を以てドイツ艦隊を砲撃しつつ撤退を開始した。途中、ドイツ軍機を高角砲にて撃墜するなど、旺盛な戦闘意欲を見せたが、敵わず。また、バーヒレフ中将もこれを支援すべく〈グラジュダニーン〉と〈バヤーン〉を以て援護射撃を敢行、その離脱を支援した。しかし、ドイツ艦隊の砲撃は苛烈であり2艦とも被弾してしまう。
 さらに底の浅い周辺海域の水道を、浸水により喫水の深くなってしまった〈スラヴァ〉は――通れなかったのである。

 結果、艦長は自沈を決断、同艦は放棄された。勇敢な戦艦の最期である

 

 たった一隻の前弩級戦艦。しかし2隻の弩級戦艦相手に大立ち回り、行きがけの駄賃に爆撃機を撃墜する大活躍を見せた。確かに戦争の帰趨には大して影響しなかったのは事実である。

 だが、知恵と勇気と運があれば隔絶した戦力差も互角に渡り合えるという事を示した。そして、この艦のベースとしての設計が決して駄作では無く、計画通りの状態で投入されさえすれば、十分な能力を発揮する。

 

 

 ボロディノ級戦艦が傑作艦であるかと言えば正直нет。しかし、駄作艦と言えばそれもнет。普通の、十分練られた設計の戦闘艦であるか、これは да。

 

 

 

 各艦の相違点

 当時の戦艦にありがちな、一隻一隻見事なまでの相違がこの艦級にも存在する。正直、ロシアで一番個体差の大きい艦級なのではないだろうか。

 

ボロディノ〉(Бородино=ボロジノの戦い:ミハイル・クトゥーゾフ率いるロシア帝国陸軍対ナポレオン1世率いるフランス陸軍の決戦
 サンクトペテルブルクは新アドミラルティ造船所で建造。シアの強い艦首で、割合に高い位置に国章を配置。艦首最上部には観音開きでライトなり備砲なりを展開できる構造――のはずなのだが、この艦のみ、これがいまいち確認できていない。
 艦橋は平面が6角形であるが、これがかなり強い印象。艦橋部最上甲板は海図室床部の左右部よりも張り出しが小さい、また同床部が大きく突出しており、司令塔床部よりも前面に立っている。他の艦とは異なり、艦橋はマストを挟んで前後に分離されているのも特徴的。アンカーダビットは鋭角的で、アンカークレーンの基部が丸見え。副砲全面には防護壁も何もないが、幾らか覆いかぶさる形で前後砲塔に構造物がかかっている。後部艦橋の床面は大きく突出しており、かなり目を引く。最も特徴的なのが推進部のプロペラで、風力発電機のような細い3枚羽で、これはこの艦のみ。また、機関もフランスの丸々コピー品。
 甲板は艦首から艦尾にかけての軸線で隙間なく並べられるが、当然材木の長さには限度がある。この限度を一定間隔で横並びに切りそろえる形で並べているらしい。これは確認できているのがこの艦ぐらい。

 日本海海戦では早期に落伍したスワロフ、アレクサンドル3世に代わって艦隊を率いるも集中砲火を受け、頑強に抵抗するも――火薬庫に火が回ったらしく爆発の後、転覆してしまった。

 

 

 〈インペラートル・アレクサンドル3世〉(Император Александр III:第13代皇帝アレクサンドル3世
 サンクトペテルブルクはバルチック造船所で建造。艦首形状は緩やかで、上下の丁度中間に国章が配置されている。特徴的なのが周囲に装飾を設けた同艦級において最も華美。

 丸みを帯びたボートダビットを持ち、艦橋平面は6角形。艦首及び艦尾副砲塔の前面に防護壁が設けられ、これが艦橋部と合体して一体的な外観を持つ。艦橋基部が方形であることも特徴的。艦尾艦橋床面は突出しており、しかし防護壁のような物は突出部には無い。タンブルフォームの形状の接続が非常に唐突で、艦尾甲板と舷側が物切れ状態。艦首艦尾双方の艦橋構造物は面取りをされており。全体的に丸みを帯びた印象がる。また、艦橋左右のブリッジが非常に大きく張り出しているのも特徴的。

 日本海海戦ではスワロフ落伍後、変わって艦隊を嚮導。この艦も落伍したが、一時回復して先頭に立つも再び集中砲火を受けて落伍。戦列後方にて踏ん張るも傾斜回復が出来ず、転覆。

 


 〈アリョール〉(Орёл=鷲
 サンクトペテルブルクはガレールヌイ島造船所で建造。大きく湾曲する艦首形状を持つ。国章を艦首上部に配置、ライトが必要になった場合は国章が真っ二つに観音開きになる模様。

 アンカーダビットは鋭角で、アンカークレーンもその基部がダビット内にある模様。艦橋平面はインペラートル・アレクサンドル3世と同じく6角形で、防護壁を含む司令塔部床面と海図室床面の双方が大きく突出している。艦尾構造物も、一段目の防護壁を持った床面が大きく突出していた。
 戦列後方に位置していた為、日本海海戦では損傷はまだマシ。降伏、鹵獲、接収され戦後に〈石見〉として再就役した。副砲塔6基を中間砲ともいえるアームストロング 20.3センチ45口径速射砲6門へと換装、重量削減と火力維持・向上を試みた。艦首艦橋は司令塔を引き抜いて一段低め、後部艦橋も同様に一段低められている。4つあった大型クレーンも1基のみとなる。備砲もイギリス流に改められたが――こちらは大した意味がなかった。また、ケースメイトの速射砲12門は全廃、舷側の形状が全体としてフラットなイギリス戦艦になった。

 

 

 〈クニャージ・スワロフ〉(Князь Суворов=アレクサンドル・スヴォーロフ公爵)
 サンクトペテルブルクはバルチック造船所で建造、ロシア帝国海軍第二太平洋艦隊旗艦。艦首形状は割合フラットだが、水線部に賭けて緩やかに突出。艦首の国章は発射管と艦首先端の中央に配置されている。

 アンカーダビットもインペラートル・アレクサンドル3世と同様、形状が丸みを帯びていることが特徴。副砲塔の前縁ないし側面に擁壁を設けている。時期によって微妙に形状や塗装が変わることも特徴的で、配備前ないし直後は艦尾側構造物が鋭角なのだが、出撃直前となると面取りされていたりする。艦橋前面部はほぼ平ら、司令塔の床面が前方に突出、艦尾側床面の突出も他艦に比べて短く上下揃っている。副碇や予備碇の配置も他艦と異なり、空中通路の形状も恐らく他艦と大きく異なると思われる。

 日本海海戦では集中砲火を食らって早々に戦闘力をあらかた喪失、舵機損傷によって戦列を離れてしまった。日本海軍の夜襲で魚雷攻撃を受け、爆発をおこし転覆。

 

 

 〈スラヴァ〉(Слава=栄光/光栄
 サンクトペテルブルクはバルチック造船所で建造。シアの非常に弱い艦首で、国章の位置はクニャージ・スワロフと同様に中間点。クニャージ・スワロフと同様の艦橋の形状であるが、左右の展開はボロディノのそれと同様。インペラートル・アレクサンドル3世と同様の床面形状を持つ後部艦橋は観測所を持っていたのだが、1916年の改装の際により、下部の海図室と共に撤去した。この艦橋基部は丸窓と方形窓の組み合わせで、何とも特徴的。

 全体的な印象として、それまでの4隻のハイブリット。日露戦争の結果を受けても、意外と形状は変わらず。武装も幾らか削減したのみ。

 その名に違わぬ、大活躍を見せロシア海軍の意地を見せた。