旧作ヤマト考察協会

第一作から完結編まで、旧作宇宙戦艦ヤマトを出来る範囲で現実的に考察するブログです。

大艦巨砲主義対航空主兵論④ 空母の利点――金をかける価値――

 

 

 
 空母は戦艦よりも優れた面が多い、使い勝手がいい。

 では、何が戦艦よりも空母が軍略的に優位に理由なのか。これは明らかにせねばならないだろう。

 


 艦載機を運用することの利点

 ずばり、非航空戦力に対する圧倒的なアウトレンジ能力である。誘導弾は第2次大戦の最後期に登場したフリッツXを待たねばならないが、艦載機を多段式ミサイルの一段目と考えれば、爆装した艦載機は事実上の誘導弾と呼ぶこともできる。これは、遠くの目標に対して確実に命中させられる超高性能な兵器である。
 しかも、使いまわしがきく

 “弾頭”である魚雷は2万=現在価値で約13679万、爆弾は600円=現在価値で約41万とさほど高価ではない。魚雷に関しては安いとは言えないが。戦力として――日本軍に関して言えば、戦闘機もなぜか爆装出来るし、一応艦爆は敵戦闘機を振り切れる。維持費はかかるが、ガワは撃ち落されない限り何度でも使いまわせる。うまくいけば頭脳部分は回収して何度でも出撃させられるし、“積み替え”をすることも可能である。

 優秀な誘導弾のある現代においてですら、現状では艦載機に代わる存在はより高性能な艦載機である。まして当時では、他に高威力の攻撃を望むべくもなかったはずだ。


 大和の砲弾は九一式徹甲弾の場合、砲弾の鋼鉄による貫徹力を頼みとし、1.4トン中炸薬量は34キロ程度。一方で九一式魚雷は総重量約840キロ中、平均230キロも炸薬を有していた。航空爆弾は確かに砲弾と同等の30キロ前後しか炸薬がないが、しかし全体重量が60キロ程度という点からするとかなりの分量を割いているといえる。ただし、大型爆弾の場合は砲弾のそれと同等の重量と炸薬の関係となっている。
 つまり、砲弾と同等かそれ以上の効果を発揮し、砲弾とは違って疑似的な誘導性を持つ。一機一機の耐久性は確かに難がある。しかし、圧倒的な攻撃力と一定条件下における奇襲性はこの欠点を補って余りある。艦載機という強力な攻撃手段を持つ空母は戦艦より高いアドバンテージを持つといえよう。

 


 ただし、空母艦載機は意外に高い。これは欠点といえよう。

 

 

 もう一度お金の計算

 私も計算するまでてっきり艦載機が戦艦より圧倒的に安い攻撃手段だと思っていた。イメージ的に、コストがかかるというのが浮かばなかった。だが、実際は戦艦の建造並みに費用が掛かっていたのだ
 しかも、300時間は確保しないと練度はお話にならないレベルにとどまる危険性がある。いくら機体が揃っていても搭乗員をそろえるのが困難なのだ。緊急的に必要が迫ったとしても、1年経たねば投入できない。1年待って投入しても、天才搭乗員ならば別だが、戦力としてはあまり期待できない。

 

 これら諸条件を明らかにしたうえで、もう一度戦艦と空母の直接対決を検討する必要が有るだろう。戦艦と空母が一騎打ちをした場合――


 真珠湾を参考にすると、一度に出撃する艦載機は30機程か。さらに2時間程度の猶予を以て第二次攻撃隊を出撃させるとしてほぼ同数。いづれにせよ搭載機全機を一度に発艦させることはあり得ない。一度に出すのは総数の半分程度である。

 第一次攻撃隊では3機程度が未帰投機、6機程が損傷を負うとして、2回攻撃を行ったならば17機強が戦線離脱を余儀なくされる。この割合で損害が増えたならば、第3次攻撃隊を繰り出した場合は3機未帰投・8機損傷機が見込まれるから合計で、約30機が戦闘に参加できなくなってしまう。第4次攻撃は難しいだろう。


 セイロン沖海戦では翔鶴ら日本機動部隊は計2回攻撃隊を出撃させた。その際、翔鶴飛行隊は18発の爆弾を投下し、そのほとんどを命中させた。これだけの数が殺到すれば、えげつない打撃となるだろう。金銭的に言えば、乱暴な過程だが全部が爆弾ならば1万800円つまり745万、全部が魚雷ならば36万つまり2億4836万。
 つまり、アタッシュケース一個ぶん投げて空母と護衛艦を沈めたような物である積み重なるとやはり費用がかさむが、割安ではある。


 米軍の場合、上記想定のうち損害は半分に差っ引き、出撃機数は10機以上プラスすることを見込む。武蔵はレイテ沖(シブヤン海)で米軍発表で爆弾命中44発、ロケット弾命中9発、魚雷の命中25本の命中弾を受けた。総投下数161発中の命中78発で、正規空母9+4(護衛空母8は搭載数から2隻で正規空母1隻と計算)で単純に割ると1隻の飛行隊当たり12発投下・6発命中できる。相手が超巨大戦艦であろうとも、これだけの爆撃・雷撃を受ければ大損害は免れない。
 第一波襲来と第二波襲来の間に間隔が空く事は休憩等として、確かに戦艦側に有利に働くだろう。しかし第二波襲来と第三波襲来の間の感覚は性質が違う。一見、間隔があくことで再度の体制再構築が出来るように思われるが――昼飯に入っていたらどうする? それで飛龍はミッドウェーでやられた。断続的な襲来やその危険性というのは古今東西、敵を疲弊させる間接攻撃となり得るのだ。
 たった一隻の戦艦に出来る対抗策といえば、ジグザグに回避運動を取るか、飛来する方向から逆算して敵空母へ直線コースで突進する他ない。あるいは運が味方につけば雷雲の中に突入して艦載機をやり過ごすという方法もあるが、反撃の手立てはない

 

 まとめると、もし、一対一の決闘ならば空母のステイルメイトであろう。勝ち切れはしないが、しかし絶対に勝たせはしない。ラッキーショットがあれば、十分沈められる。しかも、お安く

 

 

 

 戦艦対空母―艦隊戦―
 ただし、上記の想定は一対一の決闘ならば、である。
 しかし、実際は異なる。空母は空母で集中運用されたし、戦艦は輪形陣で対抗した。空母の方は現在でも1隻で戦闘任務に当たる事はなく、敵国と事を構える場合はアメリカは最低3隻の空母を集結させる。戦艦も空母もを構成する1隻として出撃するのが当たり前。

 

 そりゃ、戦艦が航空機によって沈められた海戦はいくつもある
 6空母から飛び立った攻撃隊は真珠湾を空襲し、アメリカ太平洋艦隊の戦艦群を一時的に行動不能にした。マレー沖海戦では陸攻が殺到し、〈レパルス〉と〈プリンス・オブ・ウェールズ〉が沈没した。

 だが、真珠湾では但し書きがつく。つまり、停泊中の戦艦相手だったことだ。きっと艦内に居たクルーはぼーっとしていただろうし、陸に上がっていたクルーもまた、自分の乗艦が空襲を受けるとは思ってもみなかっただろう。
 マレー沖海戦は更なる但し書きがつく。マレー方面への日本軍上陸阻止のために出撃したイギリス東洋艦隊は、あくまで輸送船団に対する攻撃を想定していた快速部隊であった。鈍足な他艦では金剛以下の高速戦艦重巡洋艦と遭遇した場合不利であり、事故って修理中の〈インドミタブル〉を待っていては日本軍の侵攻を阻止できない、という状況の中で出撃した。新鋭艦と旧式艦、それも“戦艦のようなもの”こと新戦艦と巡洋戦艦だ。無理をした設計の艦上機とは違い、余裕のある陸攻が相手である。イギリスは日本がついこの前までボロだの複葉機だのを使っていたと思っていたし、イギリス自身が複葉機を現役で使っていた。真面目なイギリス海軍軍人フィリップス提督だからこそ、日本軍を結果的に侮ってしまったのだろう。
 逆に、何で後代の人間がこの二隻を沈めた事が航空機の優位の証だと思うのだろうか。

 反対にノルウェー沖海戦では〈シャルンホルスト〉が〈グローリアス〉を砲撃で沈めたし、サマール沖海戦ではタフィ3が第一遊撃部隊と遭遇し散々な目にあっている。空母は攻撃可能圏が広いだけで、接近されたら終わり。むしろ、敵に接近された場合の脆弱性は他のどの戦闘艦よりも高い。多分、単なる輸送艦レベルである。
 残念ながら、現在でもこの空母自身の手数の少なさは改善できていない。アドミラル・グネツォフ〉なんかは艦載機数を犠牲にしているため、少々事情が違う


 さて、戦艦側が万全の体制であれば、どうだろうか
 えぐいほど旧式な金剛型といえども、複数の僚艦に守られた段階では損害は軽微であり、味方航空隊の援護を受けた場合は数次の空襲にも一定程度抵抗を見せている。〈比叡〉の事です。
 ちゃんとした艦隊として、第四航空戦隊エンガノ岬沖で多数の米軍機を返り討ちにし、北号作戦でも幾度となく空襲をかいくぐった。
 西村艦隊は〈エンタープライズ〉や〈フランクリン〉所属である航空隊20機程の空襲を受けたが、大した損害はなかった(結構な被害であったという話もあるが、沈みはしなかったことだけは確実)。
 レイテ沖は堅牢な輪形陣を敷いた結果、自身の堅固さもあって〈武蔵〉は8時間近く耐えた。坊ノ岬沖では〈大和〉はたった2時間半で沈んだが、その間に約350機が直援なしの第一遊撃部隊に殺到したのである。

 

 戦艦が航空機に対して成す術がない、などという事は決してない(さっき、たった一隻って但し書き付けたでしょ?)。

 十分な対空装備を施し、それなりの護衛艦艇を周囲に配置すれば十分に対抗できる。アメリカが繰り出した艦載機の数が、大戦後期になると明らかに一桁多いという、根本的な問題があるが……総計100機未満の場合であれば日本艦隊は手も足も出して元気に反撃していた。
 むしろ、空母の方が実は同様の環境にさらされた場合、手も足も出ない。ほんの十数機が殺到しただけで木っ端みじんになってしまうのだ。大した装甲もなく、がらんどうで、爆弾を満載しているのだから当然といえば当然だが、やはり空母は敵に発見されること自体が命取りとなってしまう。仮に発見された場合は、運やクルーによるダメージコントロールに頼るしかない。


 航空機による戦艦への攻撃は確かに有用である。

 何より、母艦を危険にさらさないからだ。しかし、空母を戦力化するには大枚をはたかねばならない。しかも、1隻だけでは心もとない複数隻必要である。すると、必要な資金も数倍に増えてしまう。これだけ資金を投じても、母艦自身の脆弱性により、喪失の危険が常に付きまとってしまう。
 当然、艦載機による攻撃で必ずしも敵の進軍を止められるわけでは無い。予後策を取っておかねばならない。坊ノ岬沖ではアメリカ軍は艦載機による攻撃に万が一失敗した場合に備えて〈メリーランド〉等の火力の高い戦闘艦艇を集結させている。


 実のところ、艦載機による攻撃は戦艦による直接戦闘よりいくらかアドバンテージがあるというだけで、決して戦艦という存在に対して止めを刺せるほどの力は持っていなかったと考えられる。
 ワンセットでは役に立たない、速成できないというのも中々にネック。これらの理由から、私は艦載機の登場ではなく、ミサイルの登場によって戦艦が廃れたと結論付ける。

 

 

 混沌たる海上戦力
 先ほど挙げた戦艦の弱点は本当は空母にも当てはまる問題なのだ
 何なら1兆したっておかしくない空母を、たかがか1億円のミサイル数発で沈められてしまってはたまったものではない。しかも装甲がないから、接近されでもして中口径砲をぶっ放されればこれもまた、たまったものではない。
 それでも空母が必要とされる理由は、その圧倒的な攻撃範囲と打撃力である。

 艦載機を全て無人機とした場合、現状の技術ではリサイクルできる以外にミサイルを上回る能力がなく、乗っ取りだのに対して無力かつ察知もしがたい。意外と攻撃の正確性も欠く。しかも喪失の危険は大して変わりがなく、搭乗員が居ない以上一人分の命を常に確保できるが……代わりに大変に高価な兵器となってしまいかねない。だから空母は差し当たって人間が操る艦載機を載せ続けるであろうし、それこそが正確かつ不測の事態にも対応できる柔軟な攻撃力を維持し続ける。
 もう一度言う。戦艦には、それが無かった。ただそれだけが、巨砲を搭載した戦艦が姿を消した理由である。


 しかしながら、ミサイルを前にしても艦砲の価値自体は衰えなかった
 強力な対空砲としての役割はもちろんであるが、イギリスの22型フリゲートのように、味方火力の確保のために艦砲を後乗せされた艦もある。2016年から就役を開始したズムウォルト級に、榴弾クラスの艦砲を要求したのは敵地に殴り込みをかける海兵隊だ。また新たに定められた艦種である沿海域戦闘艦は敵艦隊に対する攻撃能力は低めだが、自艦隊の影響下において自艦隊の能力を最大限高める役割を持つ。当然、対地攻撃力も一定程度保有する。
 正直――1980~90年代に策定された計画を2016年から就役させるという、民主国家ならではのアレな話もあり、計画が現在迷走中……である。これは複雑化する現在の戦闘と兵器が原因であり、将来が見通せていない事が大きい。ただし、対地攻撃力としての艦砲は今もって健在、特に対空両用砲たる艦首砲の廃止という考えはなく、むしろ不足し始めた対地火力の確保のために徐々に大型化していっている事は事実である。

 戦艦が再び戦場を駆ける未来というのは想像しがたい。電磁パルスによる強力な迎撃手段でも開発されない限り、ミサイルの圧倒的優位性と経済性は揺らぐことがないだろう。


 最後に一つ。
 真面目な話、コール襲撃事件までアメリカ海軍は安価でちっぽけな兵器について驚くほど認識が甘かった。この件で、傍から見て心配になるほど彼ら海軍は動揺した。先の大戦で戦艦対艦載機の戦闘を見ているはずなのに、である。


 だが、裏を返せば、彼らは艦載機を安価な兵器とは思っていなかったという査証ではないだろうか


 艦載機=航空隊は極めて柔軟な運用が可能であり、しかもかなり攻撃力が高い。余程の失策や彼我の戦力だとか性能に開きが無ければ全滅というのもあり得ない。母艦も濃密な輪形陣を形成すれば十分防護できる。戦艦は砲撃戦以外においては被害担当という悲壮な任務や、火力支援といった攻勢下での運用の他は使いづらい艦種だ。それに比べれば空母は隔絶した運用のしやすさがある。守ろうと思えば守れないものでもない。ただ、意外に高い。
 戦艦に比べれば幾らか安いが、根本的に高い。戦艦以上に人的なリソースが必要であり、時間もかかる。喪失の危険は戦艦よりも高い。このことを理解していたからこそあれほど空母の運用に慎重であり、一方で戦艦という存在に対して最後まで信頼を置いていたのではないだろうか。


 だから、〈戦艦が安価な攻撃手段である艦載機の登場によって終止符が打たれた〉という説には疑義を呈させてもらう


 コール襲撃事件からはコストパフォーマンスという、実際は相対的な関係性も明らかにした。
 仮に、もっとあからさまに襲撃を受けたとして、艦砲を載せていなかった場合奇妙な事態が起きる。つまり、ドラム缶にしこたま火薬を詰めた程度の爆弾で突撃してくるボートに、安いとはいえ数千万円のミサイルで迎撃しなければならないという、ミサイルが安価な兵器という通念からかけ離れた現象が起きてしまうのだ。これは現代特有の武装組織によるゲリラ戦という、新しいタイプの金のかけ方をした戦闘集団の攻撃のせいである。出来るだけ武器を安く仕入れ、横流し品を無理やり装備してくる、通常の海軍が保有する魚雷艇の攻撃とは全く隔絶した格安攻撃。 敵が武装漁船だったら、艦砲を載せて高くて1発数十万の砲弾の方を数十発撃ち込んだ方が当然安上がりである。
 このせいで、高価な戦闘艦艇の存在価値そのものが揺らぎ何が最もコストパフォーマンスに優れた兵器であるのかを、誰も断言できなくなった


 結果、戦術や戦略的運用がより重要性を増したという事は確実である。
 というよりも、昔からこの観点で失敗している国家は戦争で負けるし、平時でも余計な船を造って失敗している。軍には明確なヴィジョンが無ければ、ただ金がかかるだけで、誰も得しないのである。大した必要もないのに、隣の国が持っているから、などという理由では普通は建造だの改修はしないし、してはいけない。
 現在、巨砲を搭載した戦艦を運用するにあたり、有用なヴィジョンや使用環境を持った海軍は存在しない

 

 戦艦が波を砕き大海原を進む姿が見られないのは、一つの理由で原因づけられるような話ではないのだ。