旧作ヤマト考察協会

第一作から完結編まで、旧作宇宙戦艦ヤマトを出来る範囲で現実的に考察するブログです。

2202の真面目な考察Ⅲ 艦隊戦の内容と合理性

 

 戦闘描写は戦争モノSFの華の一つといえるだろう。旧作においても派手な演出があったし、2202の前作である2199においてもかなり派手な場面が幾つかあった。派手な演出といえば、それは2202の十八番であり艦隊規模の巨大さから来る面が多い。

 今回は旧作を差し挟む余地がない為、比較考察にはならないが、フッと思いついたため書いてみる。

 

 

 ガトランティスの戦闘

 これは正直疑問が残る。なんだか、全部手ぬるい

 強力な戦闘艦隊を有しておきながら、戦って死ぬことを要求しておきながら、ナスカは案外手ぬるい戦闘しか行っていないのである。攻撃力が原作より圧倒的に比較にならないほどにレベルの落ちたデスバテーターでは望むことは多くないが、それにしても手ぬるい。地上戦力をニードルスレイプだかに掃討を任せていたが、端っから爆弾なり砲撃でこれを粉砕すればよかった。何故しらみつぶしに人間を殺害していくのか……合理性が乏しい。

 戦闘後、土方司令が降伏の意向を示したわけであるが――これを拒否するならば、敵はほぼ戦力ナシとみて安心して最後の総攻撃を行う事が可能になったず。もっと言えば、司令部に対してインフェルノ・カノーネでもぶっ放せばもっと第11番惑星制圧戦は簡単になったはず。しかし、しなかった。結局、わざわざ自軍の損害が増える方法で戦闘をしたとしか言いようがない

 

 メーザーの第8機動艦隊到着後……そもそも、雷撃型のゴストークがあるのだから、アレで地球を急襲すればいいし、250万のカラクルムを鉄くずにしてしまうぐらいならこれを質量兵器として墜としてやった方が地球にとって脅威かつ確実に粉砕できたはず。迎撃など出来るはずはない

 迎撃できたかもしれないと見る向きもあるが、それは不可能――なぜなら、2万隻程度のバルゼー率いる第7機動艦隊に対し、山南司令は有人艦艇ほぼ全力を投入してこれを迎撃したのだ。拡散波動砲を乱射してようやく優位性を確保出来た程度であり、メーザー程度の指揮官では望むべくもないが勇猛な提督指揮下に第8機動艦隊が入ればこれは異様なまでの脅威になる。一隻でも地上に落ちれば大損害、これが二桁に及べばそれだけで人類滅亡の危機である。3桁行けば、もう――レインボーモスラでも現れない限りは多分地球の全生命は死滅確定だ。

 地球が脅威であるならば、確実にこれを潰すのが優先であり、どうしてもレギオネル・カノーネの試射を行いたかったという事であれば地球を潰した後に火星でも金星でも的にすればいいだけの話。

 ひょっとして、タイプ・ズォーダーは馬鹿なのか……

 

 

 エンケラドゥス守備隊との戦闘も情けない

 思った以上に強力な敵を前にイーターⅠを使ってしまったのは仕方がないし、β―な選択だったと説明できるが、バルゼーはなぜ勝利を目前に足踏みをしたのか

 射角のとれないエンケラドゥス守備隊の改金剛級を相手に上方から攻撃をしたバルゼーの描写は合理的だし頭が良い演出だが、守備隊が沈黙状態なのにもかかわらず砲撃をやめたのは、疑問というか愚か降伏勧告を行ったのならば合理性はあるが、これはガトランティスのそれまでの演出とは矛盾を呈するし、山南艦隊の奇襲もこれは正当性を失う行動であるから矛盾する

 また、波動砲攻撃を受けた地点の穴埋めにカラクルムがワープアウトするのも理解しがたいし、ナスカ級がワープアウト後にボケーっと浮かんでいただけというのも理解しがたい。何故デスバテーターを緊急発進させなかったのか、別に敵を攻撃する必要はなく普通に直掩の為の出撃でも合理性がある。加えて、地球側の航空隊による空襲が行われた際に何で全く迎撃が行われなかったのか。

 BGMで全力でごまかしたわけだが、見返してみるとがっつり矛盾ばかり

 

 

 白色彗星の描写もかなり疑問で、拡散波動砲の集中砲火をかわしたまでは理解しようと思えば可能。別次元にエネルギーを流出させたか、正面切ってエネルギーをぶち当て爆散させることで爆発反応装甲的にエネルギーを避けたか。2度目の波動砲攻撃の防御も似たような事で避けられるか。

 だが、問題は重力で地球艦隊を飲み込んでいる最中である。

 そこで破滅ミサイルを撃つ理由ってなんだ……。普通に重力で艦隊を飲み込めているのだから、そんなことをする必要性はない。無駄撃ち。しかも、味方艦隊がなぜ滅びの方舟の超重力に抗えているのか、破滅ミサイルが直進できているのか、彼我入り乱れているに近い状態でどうして平気で破滅ミサイルをぶっ放せるのか。

 徹底した攻撃だし、演出として安田艦長の部分のみ切り取れば効果的だったかもしれないが――全体として旧作の絶望感をむしろそいでしまっている。だって滅びの方舟そのものでは敵艦隊を踏みつぶすのが微妙に難しいという事を白状してしまったのだから。もっと言えば、地球艦隊の攻撃に耐えた根拠も結局劇中では示されなかった。推測できるだけの材料wも提供されなかった。

 結果、ご都合主義演出に終始してしまった。これでは謳い文句にあった最凶の敵というのも誇大広告になってしまう。

 

 

 敵艦隊と艦隊で戦うならば、滅びの方舟は後方に退いてでも艦隊同士の戦闘に終始させればよかったのに何で居座るかも結構、疑問点。

 原作では都市帝国は裸であり、他方で地球は最後の艦隊戦力をすり潰した直後であるから、ガトランティスに退く理由はなかった。が、2202では違う。 

 鳥人間に関しては――もう何も言うまい。前にも軽く述べたが、人類種全てを滅ぼす能力があるはずの滅びの方舟が、月面ナチスの〈ラグナロク〉と同程度の攻撃能力しかないというのははっきり言って拍子抜け。蘇生体の利用だって、散々スゲェ恐ろしい――みたいな描写をしておきながら特に意味はなかった。しかも肝心な時に機能させなかった。

 何がしたかったのか……。

 

 

 旧作も演出マターな面がなかったなんて、口が裂けても言えない。が、ここまで強烈に演出マターな戦闘描写ばかりというのはどうなんでしょうかね。 

 

 

 

 地球の戦闘

 古代君、君は艦隊戦というものを何と心得ているんだい?

 いくら敵陣に深く突っ込んでもその陣形に突破口を形成できないのでは意味がない。ただ目立っているだけ。浸透戦術にもなっていないし。下手に敵陣深く切り込まれると、同士討ちを恐れるならば味方の砲撃が鈍ってしまいかねない。非常に迷惑

 しかも彼はヤマトに乗り込んで以降は波動砲を撃つ撃たないだの、味方の命を危険にさらしてまで己と葛藤――優先順位が違うんじゃねぇの? 自分が死ぬだけならお好きにどうぞだが、人を巻き込んでまで自分のイデオロギー化した波動砲不使用を強制するのはエゴ以外の何物でもない。

 こいつに関しては葛藤ではなく、滑稽。感情移入のしようがないし、憧れの対象になり得るポイントが一つもない空条承太郎はえらい違いだ。

 

 

 エンケラドゥス守備隊の行動も不可解

 シリーズ冒頭で拡散波動砲の存在を暴露しているため、守備隊が使わなかった理由が決戦兵器の秘匿では説明が不可能。猛打を浴びせる2万ほどのカラクルムを前に、船足をほとんど止めて波動砲発射を行っているため、これを嫌ったというのも説明としては矛盾。山南艦隊の到着を待つための遅滞戦術というのは理解できるし、むしろ合理的だが、そのための徹底抗戦としては手ぬるいし自分たちをあまりに危険にさらしている

 また、ドレッドノート以下の戦闘艦艇に拡散波動砲が装備されていない事も疑問。ただでさえ砲口が小さく、エンジンも小さく出力が低いことが予想されているパトロール艦や改金剛では拡散波動砲の使用に耐えられなかった――という事であるならば、発射までに時間のかかる波動砲より、速射力の高い大型火砲に代えた方が合理的。もっと言えば、多少出力が劣っても拡散波動砲として敵艦に小破なり中破なりの損害を与えた方が戦闘を有利に進められるようになるだろう。なぜ波動砲が拡散タイプ出なかったのか、正直理解に苦しむ。

 無論、あの散発的に波動砲を必死に発射する描写はかなり燃える演出ではあった。砲撃を受けつつも直進し、各艦が間隙を縫って砲撃。非常に効果の高い演出だ。

 が、冷静に音を絞ってみると……途端に残念になってしまう。

 

 

 拡散波動砲をバカ撃ちした山南艦隊の行動も実はちょっと疑問がある

 重力子スプレッドでインフェルノ・カノーネを防いだシーンは幾らでも合理的説明を行うことが可能だが、そのあとのシーン――何でショックカノンによる砲戦距離まで近づいてしまったのかエンケラドゥス守備隊は後退し、山南艦隊もじりじり後進して辺縁部がバルゼー艦隊を砲撃で迎え撃ち、中央の主力は拡散波動砲で徹底的に踏みつぶす。というのが合理的な戦闘展開だろう。何でわざわざ自分たちからわざわざロングレンジ可能な範囲を脱して敵に接近してしまうのか……

 

 

 艦隊戦というのはここまで。

 あとは艦隊というよりも艦の外観を持った戦闘機による攻撃になる。時間断層というチートというかご都合主義のおかげで何とか数的に戦力を補い、戦闘経過として滅びの方舟の重力源を破壊したのがちょっとした話のピークだったが――そのあとに結局鳥人間が出てくるのだから一体……。

 また、バレル大使(どうして文官が艦隊を指揮できるんでしょうね)を身を挺して守ったドレッドノート7隻か8隻のシーンはカッコいいが、これって完結編のどうかと思うような無駄な描写のそれと同じ。そもそもバレル艦が臣民の盾を上方に配置すればよかっただけ。

 と、色々演出的には決戦・死闘っぽさが非常に明確に表現できているが、そこに合理性があるのかといえば……お経戦艦と同じで全く合理性がないお経じゃなくて聖書戦艦か

 

 特に藤堂艦長のムサシの登場は蛇足

 しかも「人間の艦」どうのこうののセリフも蛇足。エグイほど蛇足。救いようのないほど蛇足

 機械化されたとはいえ、山南司令と“通じ合っていた”アンドロメダに対する司令の愛着と同艦の“しぶとさ”。これを同じエピソードで取り扱ったというのは猛烈な矛盾となってしまっている最後の力を振り絞ってヤマトを救い出し、満身創痍ぎりぎりまで堪えて山南司令を生還させたアンドロメダがあまりに可哀想だし、度々活躍し愛嬌も振りまいたアナライザーだって可哀想だ

 

 どうにも地球側の動きは深夜に製作陣が飲み明かして盛り上がった内容をそのままぶっこんだような感じで……取っ散らかってしまっていると評せざるを得ない。

 

 

 ガミラスの戦闘

 バレル大使の行動が微妙。邦人保護の観点から速やかに本国の戦闘艦隊を呼び出す必要が有った。ガトランティスは以前よりガミラスと交戦状態にあり、更に独裁体制を築いていたアベルト・デスラーの擁護者になっている。

 民主化ガミラスにとってガトランティスはどっからどう見ても敵であり、同盟国である地球の敵でもある。これは条約の内容は別にして、ガミラス側に大規模な戦闘艦隊を太陽系に進出させる必要性はあったし、バレル大使も大統領なり長官なりに話を通しておく必要が有った。ガトランティスに第一段階で敗北するまでは拒否られる可能性もあっただろうが、山南艦隊が壊滅した時点で大規模な艦隊をガミラスから呼び寄せて新規建造の地球艦隊と連合艦隊を組ませて戦ってしかるべきだった。

 

 無論、文官であるはずのバレル大使自ら前線に赴いたことはガミラスと地球の同盟関係に心情的には好材料をもたらす。が、共に戦う割に、地球の時間断層内で建造した戦闘艦隊を大量に投入してみたり、ガミラスが艦隊を派遣しなかったがばっかりに両者の地位について大きな懸念材料を残した結果になった――がこれは別の話だろうね。

 バーガーの戦闘もアイツ水雷戦や電撃戦のプロのくせに、何であんな戦い方をしたのか疑問。空母とガルントとデストリアを一緒くたに突入させて、性質が違いすぎる上にガルント自体にはそんなに攻撃力がないのに――この全部コスモプレーンの親戚でちょっと攻撃力に差がある程度の認識でなければやらない様な戦闘。

 一撃必殺即離脱という戦闘スタイルは航空も水雷も実は似た所がある為、決して指揮官に互換性がないわけでは無い、だから2199で水雷系指揮官のバーガーが空母を指揮したのは別に不思議ではない。が、だからといって戦闘的空母を水雷戦的機動戦に投入するのは別問題

 

 演出マターな描写で正直、せっかく前作で出来上がったキャラクターの性格や戦闘艦の性格を全部ぶち壊しにして、死闘の演出に終始した艦がある。

 

 

 全体的な疑問として何で時々戦闘が完全に止まるのか

 エンケラドゥス守備隊とバルゼー艦隊との戦闘で時々砲撃が完全に停止していた。ノイ・バルグレイの艦隊の突撃時も結局砲撃が中途半端。画面に映る艦の数が少ないと全艦が元気に砲撃を行っているが、多数だとちょいちょい完全停止……予算なのかソフトの処理能力なのかは知らないが、だったら端っから艦隊規模を抑えてよ

 何度も繰り返すが、艦の武装や大きさがその役割によって大きく違う理由を2202の製作陣にはよく考えた上で制作に取り掛かって欲しかった。航空機による戦闘というか、マルチロール機という存在に慣れてしまうと、認識がぼやけてしまうのかもしれないが、元来戦闘艦は万能艦として仕立てることは非常に困難で、役立つレベルで量産することは不可能。

 だから割り切ってある程度艦の性格を方向付ける。だから艦隊を組む必要が有るし、だから効果的に攻撃が出来る。この辺りの認識が非常に薄かったのではないだろうか

 

 

 演出マター、艦隊戦の認識の薄さこの二点によって2202における艦隊戦は派手だが全く深みの無い場当たり的なものになってしまった。所々かっこよかったりグッとくる描写はあるが、全体的には場当たり的で感慨ゼロ。

 例えるなら単なる激辛カレーだろう。

 コクもうまみも香りも乏しい、色がよくて辛いだけのなんだかわかんない存在。一口目は度肝抜かれて感動もするが、二口目からは底の浅さが知れてうんざりしてしまう。具として投入されたジャガイモが唯一のオアシス。

  残念ながら、このカレーにはジャガイモさえなかった。