旧作ヤマト考察協会

第一作から完結編まで、旧作宇宙戦艦ヤマトを出来る範囲で現実的に考察するブログです。

ストーリー考察Ⅲ パワハラ疑惑(新たなる旅立ち)

 
 新たなる旅立ちとパワハラ
 昭和の作品だから描写に含まれるのは仕方がない。とはいえ、これをスルーするのはそれはそれで問題だろうし、当時から過酷な勤務の職業における待遇改善要求と言うのはあった――と思う。少なくとも不満に思った人はいただろう。

 今回はこの点に関して考察してみたいと思う。

 

 

 パワハラと軍
 パワハラというものはどこの世界にも存在するし、受け止める方が敏感になっていれば些細な事でもパワハラになってしまう。他方で、受け止める方が鈍感になると明確なパワハラでもパワハラではない扱いになってしまう。
 とはいえ、理不尽という面において比重が置かれかつ、それによって不利益を何かしらの形で被ったという関係性が明確になれば、これは概ねパワハラと言っていいだろう。
 
 例を挙げるにあたり、我々にとって一番身近なのは大日本帝国軍だろう。

 一応、日本軍の公式にはパワハラ(私的制裁と読み替えてほしい)はなかったことになっているといっていい。これは軍に命令できるのは天皇だけであり、天皇の命令が直接そのまま末端まで伝達されて実行されるという形式を建前としてとっていた。そこに由来する。

 他方でそもそも、これらに該当する記録が残らなかった――というのもある。事実として確認されれば当然憲兵が出動するし、当該部隊を最終的に統括する軍司令官はマトモな人ならこれを出来るだけ排除するように努めるだろう。であるからこそ、記録に残っていて当然のはず。しかし、ほとんど聞かれない。
 理由は非常に明確かつ簡単である


 一つは反抗心を初年度において徹底的に粉砕されたから常態化する事でこれが普通であると刷り込ませ、反抗心をなくさせる当然逃げ道はない。こうなれば、道は二つ――辞めるか我慢するかである。前者には残念ながら自殺も含まれる。この場合、何がまずいかという事自体に気が付いていない。
 もう一つは、恐怖による支配。昨日靴で頭を踏んできた相手が「我が隊に私的制裁はあるか? ないな!」などと言ってきて、それでも「ある」なんて誰が言えようか。当該人物が同席しているような、或いは当該人物側に立った調査官が行っている調査のどこに信頼性があるのだろうか。
 
 
 ヤマトの場合、度々起こる鉄拳制裁や中身のない叱責が艦内で繰り広げられた。これ、意外な事に威圧感の強い土方司令はパワハラと呼べるような事はヤマト2において自分の副官に向かって強要したたった一度きりである。反対に沖田艦長や古代艦長代理殿は度々やらかしている。二人とも、口が悪いんだよね。公私の区別がついていないというか、上司と部下の関係を理解して居ないらしい。
 そんな危険含みのヤマト首脳部――新たなる旅立ちにおいて、古代艦長代理はかなりデカい“祭り”をぶち上げてくれたすなわち、坂本への暴行と坂本と北野に対するセクハラを含んだ懲罰的命令であるパワハラモラハラで分けるべき部分もあるが便宜上、パワーハラスメントとしてひとくくりにする。

 

 

 パワハラ1:坂本への暴行
 第一に、坂本の着艦命令に背く形の曲芸飛行披露は褒められたものでは無い。前進するヤマトの前方域においてアクロバティックな飛行は、ヤマトとの接触や自身の空間識失調などによる墜落の危険など、お話にならない危険行為。これは少なくとも訓告か一段下がって厳重注意は確実。もしニアミスがあったならば隊長の責を重く見るならば戒告か減給、墜落や機体損傷であれば停職か降任はされてしかるべき。
 とはいえ、これは艦長としての権限をもって一時的に任を解いて軍法会議にでもかければ済む話だ。まだ地球を出ていないのだから、さっさと陸におろしてしまえばいい。仮に出発したのちであったとしても懲罰房――がないから船倉のどっかにでも置いておけばいい。殴るべきでは無かった。不要な行為であり、これは単なる暴行だ


 仮に坂本が殴り掛かる様子を見せていたならば、正当防衛で何とかなるかもしれないが、あの時点で坂本はふざけた笑みを見せただけであり、古代の身に危険が及ぶ可能性はなかった。危険を感じたといえるだけのファクターはなかった。

 むしろ、坂本は殴られた後もんどりうって倒れこみ、あわやコスモタイガーの脚にぶち当たるところだった。当たっていたかもしれない。仮に頭を直撃していたならば、これは大変な危険。殺人事件になっていたかもしれない
 これは、古代君……停職か降任も覚悟せねばらなないだろう。

 


 パンツ一丁艦内マラソン
 これはアウト。降任待ったなし、免職も視野に入る。
 だって、坂本君も北野君もミスはしたが不可抗力的な意図をしていない失敗だった。それなのにこの意味の分からない命令である。理不尽にもほどがある。
 仮に傷があるとか、あざがあるとか、昔笑われてトラウマがあるとかで裸を見られたくない事情があった場合、これは――賠償問題に発展しかねない。もしこれが祝宴の場であって、信頼関係を築けている間柄であれば、多少は考慮されるかもしれない。が、そういう場面ではない。

 

 懲罰の理由は――

 坂本君は前方不注意による小惑星とのニアミスまあ、これは叱責はされてしかるべきだろう。部隊の引率的立場なのにうっかり小惑星に落とされそうになって一体どうするのだろう。明らかな不注意、それもふざけ半分だし、叱責されて抗弁になってない抗弁をのたまった。これはちょっといただけない。厳重注意ないし、はっきりと経歴に記して忘れさせないために訓告辺りが妥当だろうか。


 事の重大さから言えば北野君も中々にやらかしてくれた。ショックカノンを味方航空隊の退避前にぶっ放すという、まさに命の危険をもたらしたのだ。事の重大さを考えると、これは減給ものだろう。もしも機体を喪失しようものなら、降任は免れない。さすがに故意とか、よそ見のような擁護のしようのない過失ではない。ド緊張下で起こした残念な失敗であるのだから免職まではいかないだろう。が、最大限の処罰は受けてしかるべき

 


 そう……このように、普通に処分を下せばいい。仮に経歴に傷がつかないようにパンツ一丁艦内マラソンで済ましたのであれば、それは不正や私物化。古代艦長代理も、この件について処罰されねばならない。
 このパンツ一丁艦内マラソンという命令の意味の解らなさも恐ろしい。何でパンツ一丁で艦内を駆けまわるとミスが減るのか。パンツ一丁で艦内を駆けまわることが一体どんな種類の懲罰に相当するのか。てんで意味が解らない。

 

 

 罰の不平等さ
 よくよく考えてみると、徳川君も地味に失態を重ねていたが――なぜ故か咎められてなどいない。これはまずいだろう……


 徳川君最初の失態は水雷艇の転覆事故である

 ああいった事故は単純で傍から見れば笑えるかもしれないが、地味に死亡事故につながる。体温の低下やライフジャケットがなかった場合の浮力保持の困難さ、発見の困難さなどが複合的に絡み合い、死亡事故が多発する。たとえただのボートであっても、それは変わらない。
 全長は17メートル水雷艇程度、幅は倍ぐらいか。結構大き目なボートである。これが転覆したとあらば、ボートの中でまごついて空気を使い果たしてしまえばアウト。仮にボートが沈み、それに巻き込まれればこれもアウト。しかもわき見運転で転覆だから、懲戒処分は元来免れないだろう。

 うまくいけば、厳重注意や訓告などの処分未満になるかもしれないが、戒告ぐらいは覚悟するべきだろう。下手すりゃ機関部全滅だったのだから。

 

 次なる失態はエンジンのうっかり停止

 これはヤマトの波動エンジンを傷つけてしまいかねない。緊急制動装置を作動させてしまうなんて、しかもどうでもいいタイミングでやらかすという。挙句、他の機関部員に率先して失敗をしてみんなを導いてしまったのだからヤバイ。宇宙戦士訓練学校で一体何習ってきた――というのは別にせよ、エンジンに負荷をかけるのはマズイ。しかも一か月前にガトランティスと死闘を繰り広げた後である。余計な事はしないに限る。
 仮にエンジンに損傷が出た場合、ヤマトは再び戦線離脱してしまう。地球は戦力がジリ貧状態であるが、そのジリ貧を最大限支えているヤマトが離脱すれば、戦力は一時的とはいえゼロになる。これは、地球防衛の大戦略にも影響を与える。

 今度こそ、戒告だろう。仮にエンジンがダメになれば停職だろう、“上”がキレればたとえ勇士たる亡父の威光があっても一発免職だろう。

 

 徳川君の方がかなりアレな事をしていることは間違いない

 にもかかわらず、全て口頭注意程度しかされていない。これは、坂本君や北野君に比べてとても緩い処置だといわざるを得ない。失われたかもしれない命の数という意味でも坂本1、北野5ないし6に比べて徳川は二桁を超えて最悪3桁に上るだろう。これをそのまま見過ごすのはマズイ……。

 ところが何故だか見逃されている。太助の個人的な憎めない感じという資質もあろうが、それで判断してはマズイのだ。

 

 

 まとめると……古代君の懲罰は非常に個人的感情に左右された私的制裁に近い。懲罰の選択やその理由、プロセスは全く持って不明瞭。同等あるいはそれ以上の過失によって運航に支障をきたす可能性があったのに、片方だけを処罰する非合理性。挙句、懲罰の内容は学生が学生を懲らしめる為のいじめ的側面を残した残念なものだ。これはハラスメントに他ならない。
 古代ならば、あの浮き沈みの大きい性格や恋人の何とも言えないフォローであるとか、島が大抵の場合にB案を提案するという割と上手く関係性が機能している点を鑑みて、悪質化しないかもしれない。かもしれないが、別の人間が古代方式を踏襲した場合は悪質化する可能性が十分認められる

 


 この悪い習慣は、ここで断ち切るべきだ。仮にリメイクをするならば、この"昭和のかほり”はかき消すのが――常道だろう。